ぼんやり旅

二日目、そして旅の終わり

自分の父親のゆかりの地ばかり巡っていては、
彼の孫である所の息子は退屈するだろうから、
旅行二日目は、観光地っぽいところに行く。
花巻といえば宮沢賢治。
風の又三郎、
やまなし、
セロ弾きのゴーシュ、
銀河鉄道の夜
息子は一つも知らなかった。
これはいかん。
一路宮沢賢治記念館へ。
天気は快晴。
雨上がりで空が高い。
その高い青空をトンボが無数に飛ぶ。





この澄み切った空気の中、
宮守のあの川をもう一度見たい。

息子を説得して、もう一度だけ、









川の水に足を浸してみる。
顔を洗ってみる。
ああ、この川とともに、
自分の父親は育ったのかと思う。





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宮守

電車に乗って、実際に宮守駅まで行くことも考えたが、
本数が少ないため、あきらめて車で向かうことにした。
車で少し進むと、右手に古い橋が見える。
「岩根橋って、これのこと?」と息子。
後で知ったのだけど、
この岩根橋は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の着想にあたって結構重要なモチーフになったのだそう。
僕の父はその昔、その銀河鉄道に乗って通学していたのだ。
しばらくすると、遠くにもっと大きな橋のアーチが見えてきた。
宮守川橋梁、通称めがね橋。
この橋のよく見える場所に道の駅があった。
車を停めて見晴らしのいい場所まで歩く。

雨のせいで近くの川は濁っていたが、せせらぎの音は耳に心地よい。
息子が葉っぱを浮かべて遊んでいるのを横目に父へ電話。
「その川で子供の頃よく遊んだよ。パン買う金もなくて、いつも腹ペコだったなあ。」

父は1945年生まれだが、この世代は大抵空腹な子供時代の記憶を抱えている。3つ下の母は事情は違うが空腹だった。ゆでたまごは風邪の時にたまに食べれるご馳走だった。
道の駅で息子にワサビソフトを買う。「辛い辛い」という息子。
宿に行く前にもう一箇所、行きたいところがあった。
宮守小学校
父の母校だ。
麓の児童館に車を停めて、急な坂を小雨を浴びながら登る。この坂は昔幼い父が登った道。今息子と歩いている。
その学校は丘の上にあり、振り返ると街がよく眺められた。
携帯で写真を撮ってメールに添付して送る。

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岩根橋駅

車で向かう道すがら、トイレにいきたいと息子が言うも、コンビニすら見当たらない。
第一に店らしいものもなく車通りも少ない。

一時間程走ると、その駅は現れた。
小さな小屋のような駅舎。
無人駅だ。
駐車場が数台分あったので、そこに車を停める。
助手席のドアを開けトイレに走る息子。
僕は湿ったアスファルトに足を降ろし、霧がかった緑の深い山を見上げる。雨は上がったが、あいにくの天気。
曇り空が寂しさを掻き立てる。
電車の来る気配がしない。

「それで、家はどこなの?」
とたずねると電話口で父が、
「家はもうないよ。あなたのお爺さん、つまり私のおやじがですね、ここあたりの山の中に昔小屋を建ててね、そこに中学まで住んでたの。」
「それってどこあたりか分かる?」
「さあ、昔Google earthでこの辺りかなって見たけどさ、多分車じゃ無理だし、行った所でもう何の跡形もないよ。」

「そっか…」
携帯を耳に当てたまま、辺りを見回す。
山って言ったって、
山しかない。

何もないホームを歩く息子をしばし眺めながら、
僕は幼い父の姿を思い描こうとしていた。
1950年代の風景。



「本当に何もないなあ」と僕、
「何もないねえ」と息子。

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味噌にぎりの味

空港でレンタカーを借りる。
予約したグレードの車が出払ってるとかで、
一つ上のものを、同じ金額で用意してくれたとのこと。
車庫入れの苦手な僕にとって、なるべくなら軽かコンパクトカーくらいが無難だったが、
店側が用意してくれたのは残念ながらステーションワゴンだった。一方息子は喜んでくれた様子。
手頃な店で昼食を食べる。

うどんの他に、メニューにあった味噌おにぎりを単品で注文する。
思った通りだ。昔父が、丸くカチカチに握った米飯に、味噌を塗りたくって、トースターでカリカリに焼いてくれた、あれだ。
もっとも父の握るそれは、小学生の僕にとっては、ご飯の量があまりに多過ぎて、当時それほど好きではなかったのだが。

店の味噌にぎりは、直径6、7cm。手頃な大きさで、甘辛い味噌が素朴な風味を醸し出していた。
息子が無心にうどんをすする向かいで、僕は携帯で実家に電話をかける。
電話の先で父は驚くとともに、心なしか上ずったその声から、少しばかり興奮しているのが分かった。
「あの、産まれたとこをね、ちょっと見に行きたいんだけど。」
という少し気恥ずかしさを込めた僕の問いかけに、父からは岩根橋という地名が返ってきた。
「岩根橋の駅から、汽車に乗ってさ。毎日宮守の小学校まで通ってたんですよ。」
既に口調が自分語りになっている。
受話器を耳に当てたまま、たぶん遠くを見つめてる。

車に乗る頃には小雨が降り出していた。
僕と息子は山の方、といっても八方山ばかりだが、
とにかくナビが言う方に、真っ直ぐ走り出した。

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花巻へ

「まもなく当機は着陸態勢に入ります。」
とCAのアナウンスが入る。
隣に座る8歳の息子は、ややひきつった頬を赤らめ、忙しなく座席のベルトを締めた。
本来その席には、息子ではなく僕の父親が座っている筈だったが、
自治会長として神社の例祭に出席するとかで、つまり、こうなったのである。
緊張した面持ちの息子くん越しの、20センチ四方の小さな窓からは、黄色く色づいた花巻の田園が見える。

午前11時過ぎ天候は曇り。
空港へ降り立ち一目散にトイレに向かう息子。

「ついに?それともやっとだろうか。」

息子の左右に揺れるリュックサックを見ながら思わず呟く。

思春期の頃、なにせ反抗期なものだから、
父親の言うことなすこと全部気に食わない。
当然ながら父の生まれ故郷に行く気など、
当時はこれっぽちも無かった。

最近僕は思う。
人が他の、例えばバッタだとか猫だとか、そういった生命とはっきり違う点は何だろうか。
それはつまり、
突き詰めれば記憶の伝承なんじゃないだろうかと。
そう思うに至った。

人の与えられた時間は有限である。
はっきりしている。人はウミガメほどは長生きできない。
こと人体の耐用年数なんて、はなから決まっている。
僕自身この先老化はしても若くはならない。
あたりまえのこと。

僕はこれまで、
それほど多くはないにしろ、
それなりに人の死に出会ってきたつもりだ。
だから他人にとって、誰かの生というのの一部は、
つまりは記憶なんじゃないかと思う事だってある。
自然な成り行きと感じるのは僕だけだろうか。

人との出会いというのは、
結局はお互いの頭脳の中にそれぞれの自己を住まわせるという行為でしかないのかもしれない。
だからこそ人はある意味、
死んでも生き続けられる。

ある年齢になるとみんなそこに気づくらしい。
だから説教臭くもなるでしょうし、
孫を可愛がりたくもなるでしょうし。

そんな訳で、
空港でレンタカーを借り、
僕は息子と、父親の幼い記憶を探る旅に向かった。
プランはまだない。


報告は気が向いたらします。
というのも、今とにかく仕事が忙し過ぎて、なかなか時間が取れないのです。




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香嵐渓へ



自由な時間ができたので、
ふと思いつきで
高速で片道一時間
一人で足助まで。
のんびり絵を描いてきました。

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ふわふわした山

週末、湯の山までいってきました。
ロープウェイから見下ろす山々は、
紅葉真っ盛り。
緑と赤と黄色のまだらな模様が
まるでモコモコ絨毯みたいでしたよ。
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水の都

夏の駆け込み家族旅行、最終日は郡上八幡へ。
手拭いに柄を付ける体験ができるというお店に行きました。
シルクスクリーンなんですが、柄も選べて楽しめました。
お店の人とその場の時間を共有しながら出来た手拭い。
思い出が形になるのって、ちょっと嬉しい。
郡上は盆地なんでかなり暑い。
どの店も冷房控えめだなあって思ったら、あれきっと余りに暑くて効いてないんですね。
盆地恐るべし。
美味しいお蕎麦を食べて一息ついて、息子くんと川で戯れて帰りました。

写真の一つも添付できれば雰囲気も伝わるのでしょうけど、実はつい数日前に購入した携帯のカメラがあっけなく故障しまして、画像を撮影することができませんでした。
ああ、無念。

郡上、綺麗な街でした。
また暑くなくなったらゆっくりしたいです。

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高原で

高原で
家族旅行二日目
高原で、のんびり。
木陰にシートを敷いて、
みんなでお昼御飯。
合間にちょっとスケッチ。
日差しは、キツイけれど
風はすっきり爽やか。

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分水嶺

分水嶺
家族旅行で、岐阜に来ています。
分水嶺。
源流から分かれて、日本海と太平洋にそれぞれ流れていくそうですよ。

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