おけ

ごちそうさまでした。

演奏会が終わりました。
腰や顎が壊れそうなので、何年かぶりで肩当をつけたら、自分の音がモニターできなくなりました。
本番中、音程がひどいことになってたかも。

マーラーは、どっぷりと浸かって弾くと妙な興奮が得られます。ドロドロとした何かが、音楽の底で負のエネルギーを物凄い力で発しているような。目ん玉ひん剥いて没入すると楽しいけど、しんどいですね。疲れちゃう。
リヒュルトは、譜面は難しいけれど、歌えるようになれば何とかなるというのは、数年前にやったツァラトゥストラと同じ。気合いと歌心で乗り切れる?
モーツァルトは、頑張って弾く音楽ではないんだなと、あらためて感じました。頑張らないけど素直に丁寧に、あと朗らかに弾くと、雨上がりの水滴に濡れた、庭に咲く小さな花が浮かび上がる感じ。例えばの話です。
ファゴットって本当に優しい音がしますね。近くで聴けて楽しかったです。

オケは、これでおしまい。
ごちそうさまでした。

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真っ黒い穴

明日は大学オケの同窓会の演奏会です。

個人的には、これで一区切りにしたいと思います。
オーケストラで弾く事は、当分ないでしょう。

なぜだか分からないのですが、
もう昔のように楽しめないのです。

無論、集団で生み出す音の流れを感じて、サーフィンすることは楽しい。
別に全く弾けないわけでもない。
でも何処か虚しいのです。

これといった理由は思いあたりません。

ただ真っ黒い穴が、いつも傍にぽっかりと空いていて、
どんなに僕が盛り上がっていても、
その穴はずっとそこに在り続けているような感覚。

オケで弾いていようが、仕事してようが、誰かと談笑してようが、
穴はいつも、そこにぽっかりと空いていて、
それが時にたまらなく無気力にさせる。

この穴、ブラックホールなんでしょうか?


愛知教育大学管弦楽団同窓会第13回演奏会

日時:2017年8月19日(土) 13:30
場所:パティオ池鯉鮒(知立市文化会館)
曲目:
マーラー 交響曲第1番「巨人」ニ長調
モーツァルト ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191(186e)
リヒャルト・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」組曲

指揮:米津 俊広
ファゴット独奏:新山王 政和


とんだ紹介ですね。
自己中にも程がある(笑)

演奏会自体はすばらしいんです。
みんな仕事やら何やかやの合間に練習頑張って、
本当に素晴らしい。
何にも問題ない。





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アドレナリンの暴走

土曜日は、夏の演奏会に向けた練習のため北名古屋。
高速を降りてジャンボプール脇にあるホールまで。

10時から16時まで、昼にトイレに行ったり、ボウイング写したりする以外は、殆どずーっと楽器を弾いていました。オケの合わせが休憩の時も、ひたすら弾きまくる。
アドレナリン大量放出のため空腹を感じない。
ちょっとした病気です。

ステージはそんなに広くないので、僕の左隣はホルンの列。
普段のテンションだったら、その音圧に身動きできない程に打ちのめされるのでしょうが、多分相当な興奮状態で、例えば額から血が流れていようが、たぶん痛みを感じないくらい。そのホルンと自分の楽器の音をリンクさせてやろうってくらいな意気込み。楽譜は殆ど暗譜ですから、勝手に指が回ってゆく。

マーラーの巨人、四楽章のテンポを速めにさらってしまったようで、自分の身体感覚を修正する必要がありました。この楽章のはやいところは、ダンスみたいです。割れよとばかりに楽器をかき鳴らす。
楽器はさすが弦を張り替えたばかりでしたから、こんな力づくの要求にも、よく反応してくれました。
身体の面では肩甲骨の間が疲れていましたが、一晩寝たら治りました。

無茶苦茶に邪道な個人練習の成果か、とりあえずフリーズせずに乗り切れたのは良かったです。
こんな時に基礎練をすると格段に楽器を弾くのが楽になります。音階練習やらセブシックの移弦練習、ポジションエチュード、あとクロイツェルなんかを丁寧にやるとみるみる身体が軽くなる。

こんな感じであと数回の練習を、
乗り切ろうと思っています。

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演奏会に向けて

ああだこうだ言っても、
8月になれば演奏会がある訳ですし、
一旦参加するって言ったんだから、
どんなメンタルだろうが、
結局は準備するしかない。

あれから一ヶ月。
マーラーとリヒャルトを、
ある独特なやり方でさらっています。
邪道も邪道ですが、
乗り切る事が目標だからしょうがない。

まずパート譜をできるだけ暗譜する。
多分、昔からそうしていたと思います。
じゃないと弾けない。
初見?
楽譜は録音が発明される以前における、
記録と伝達のツールです。

次に音源と合わせて弾く。
人によっては怒られかねない方法。
これまた、大々的に採用。
イヤホンでエリアフ・インバル指揮のフランクフルト放送交響楽団と共演。
耳の記憶というのは、眼より野生的というか、本能的というか。反射との結びつきが強い。
だから、そこを刺激しながらやっていくと、
同じ練習でも、使える練習にできるかも。

邪道と知ってのこと。
スコアを読み込むのが一番なんだろうけど、
残念ながら、3ページくらい見たところで眠ってしまうのです。
その点ブラームスやベートーベンのスコアは、
幾何学的に面白くて、比較的飽きなかったのだけど。


息子の楽器のサイズアップのついでに、
自分の弓の毛替えをしてもらいました。
ついでに、張ってから一年になる弦を交換。
音が見違える程出しやすくなりました。
音の反応が早い。

マーラーの巨人冒頭のフラジオレットが、出しやすくなりました。フレッシュな弦は弾きやすいです。




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音楽は



好きなときに始めて、
好きなときに終わる。

そんな営みだって、
ちゃんと音楽と呼んでくれるかしら。

向かいにある蜜柑畑の虫の声。
ある意思の下に発せられし音を、
仮に音楽と呼ぶなれば、

鳴声然り、
人の会話然り、
まな板叩く包丁の音然り。

少なくとも音楽は、
幾何学的な枠の中で構築された、壮大な構造体でのみある訳ではない筈。

4歳の娘ちゃんの
たどたどしい唄声が、
何よりの証拠。

僕は、そんな娘ちゃんが、
鼻歌を歌うみたいに、
バイオリンを弾けたら、
もうそれでいいんだ。




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もうやめよう





もう充分じゃないだろうか。
自分で言うのもなんだけど、
ここまで不器用なりに、
よく頑張ってきた。

車のハンドルを握り、
夕空を眺める。

空っぽの頭。
空っぽの心。




オケの練習が
意識はできてないだけで、
実は苦痛だったのかもしれない。
昨日今日の話じゃない。
それこそ学生オケの頃から。

沢山の刺激がいっぺんに入ってきて、
まともに対処できない。

頭は興奮状態
というかパニック。
そんな時も、周りは一時だって待ってなんかくれない。
いつだって音楽は流れ続ける。

フリーズしてしまう。
それは部屋で何度もさらった箇所。
パート譜のその部分、
目では捉えているし、頭の中で音が鳴る。
でも、身体が反応しない。
かと言って、ぼーっとしている暇はない。
列車は走り続けるのだから。

だめだ、弾けない。
また落ちた。
ここは、一小節いくつ振りだ?
ボウイングが前のプルトと違うじゃないか。
ボウイングを写さなきゃ。
えーっと、この部分はどんな指使いだったかな。
え?ここは、そんなに速くなるの?
ロングトーンが木管と、どう考えてもハモってない。
そもそも楽譜上ハモらないのか?
あ、置いてかれた!
今はどこだ?
テンポは?
頭拍が分からない!
次はどこから?練習番号の何番?それはパート譜のどこのこと?
空間が歪んでいく。

弓が弦の上でパニック状態。
周りを気にし過ぎるから、
音を控えめにするために、
次第に浮かせ気味で、歯が浮いたような音しか出せなくなる。
そのままfffでトレモロ刻むから、
右手に力が入り、
弓は変な方にズレてしまう。

物理的にも精神的にも、
自分の音がモニターできない。
一種の浮遊状態。
頭の中で鳴る音と、
周りの音がリンクせず、
体の動きに対して、音のフィードバックが無い。
すると、いつしか自分の身体が空間に実体を留めなくなる。
冷や汗、
次に手の感覚が無くなり

そして固まる。


時計を見る。
あと10分がんばれば、
予定では、練習が終わる。

ひどい頭痛。
周りに気を遣わせないためにも、
笑顔は取繕わねばならない。

最終的には、なんとか隣の人や周りの動きをマネするだけ。

自分が何故ここにいるかすら分からない。

昔から、
多分全体の半分以上、
僕はこんな感じだったのかもしれない。

ただ、音楽が好きだったし、
憧れもあったから、
いつも歯を食いしばって頑張ってきた。
おまけに無理してることに、
本人は全く気付いていなかった。

最近、もういいんじゃないかなと思う。

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居心地の悪さ

ああ、
楽しく弾きたい。
楽器を弾く事で心からウキウキしたい。

もちろん、
楽器ケースを開けて、
音を出すだけで既に、
心は浮き立つけれど、

楽器を使って、
日々の生活を、
もっと生き生きできないかなあ。

オケでクラシックばかり弾いてきたけれど、
そもそも、クラシックは、
そんなに好んで聴いちゃいない。
バイオリンって楽器自体は好きだけど。

多感な頃にオケという集団で過ごしたせいで、
これまで、オケで弾くことに、
特に疑いなんて抱かなかったけれど、
そもそも、僕がしたいのは、
それだったかというと、
正直分からない。

僕はただ、
楽器で音楽をしたいだけなんだけど、
特にオケがしたいとか、
古いヨーロッパのシンフォニーなんかを弾きたい訳では、もともとは、そうじゃなかったんじゃないかなあと、

こんな年になって、今更だけど、
ぼんやりと思う今日この頃。

昔から、
たまにオケで感じる、
あの奇妙な感覚。
それは、ちょっぴり嫌な気持ち。
あれは、どんなに基礎練習をしたって、
どんなに演奏技術が向上したって、
多分根本的な解決にはならない。
あの場違いな気分。
胃の底から来るような、
居心地の悪さ。
これは、いくら練習しても、
たとえ上達したとしても、
多分変わらないかな。

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不器用なサーフィン

夏の演奏会に向けて
日曜はオケの練習日。
何はさておき、
オケという場で、
楽器が弾ければ
ただそれだけで、
とにかく満足。

譜読みのストレスは、
昔も今も同じ。

ただ、昔と違うのは、
周りの音を感じられる程度の、
「いいかげんさ」を持てるようになったこと。

上手に弾こうとか、
いい音を出そうとか、
はたまた無謀にも、
何か表現してやろうとか、

そんな諸々については、
おそらく今はもう、
どうだっていい。

大きな音の流れに
なるべく長く乗っかっていたい。
サーフィンみたいに。
僕が今、オケで弾く事に求めているのは、
波乗りに近い楽しみかもしれない。


サーファーが、よい波をとらえた時みたく、
集団の生み出すリズムや、
曲のハーモニーの流れに乗っかれた時は、
まさに至福の時間。
世界は僕で、僕は世界な気分。

一方、波に上手く乗れずあたふたする時は、
ぽつんと一人、世界から取り残された気分。
ものすごく落ち込む。

若い頃はこの孤独感に、とてもじゃないが耐えられなかった。

精神的にもろく、繊細な人は、
あのタイプの孤独に対して、
過剰な自己主張、
或いは、まわりの世界への執拗な反抗によって対処する。
それを地でやってしまった愚直な若者こそが、
つまりは僕自身だったのだと思う。
なに、これは僕に限った話じゃない。

理由なき反抗

当の本人は、それなりに、
脇目も振らず、一生懸命。
言いかえるなら、
自分に一生懸命頑張っていた。
愚かなダンスに過ぎないにしても。

でも所詮、
孤独を感じようが、
まわりと一体感を感じようが、
一人は結局一人であり、
自分はいずれの場合も、
無くなりはしない。
ただ、それだけの事。

そんなことを言いながら、
僕は今だって
相変わらずに繊細で、
そして傷つきやすく、
他人に安心して心が開けない。
不器用な少年は、
不器用で屈折した大人になった。


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やり過ぎ病のささやかな望み

連休中にギターを、あまりにやり過ぎたせいで、
左手の指が腱鞘炎になりそうになり、
とりあえず今ギターはお休み。
バイオリンのみ弾いています。

最近、やり過ぎ病ってのは、ある技能を身につける時、稀に効果的に働く場合がありますが、やり過ぎ病の当の本人は、行為そのものが目的化しているので、ある種の中毒に近い物だと考えるようになりまして、
つまり寝食忘れてのめり込んでいては、脳は喜んでも、いつか身体が壊れてしまう訳ですから、
もし、のめり込みのコントロールが不能になる予感がしたり、実際身体が危険信号を発した時は、意識的にその事象から離れる事を気をつけようと思います。
腱鞘炎になっちゃ元も子もない。
やり過ぎは毒です。

バイオリンに関しては、夏の演奏会の曲の譜読みが一通り終了。
といっても、楽譜にある最低限の情報のうち、さらに必要最低限の物を音にできるようになったに過ぎないのですが。

一通り楽譜は見たので、月終わりにある合奏練習に参加しよかな。
途中山梨でオケの演奏会に参加した事を除いて、
ここ数年、ひたすら部屋に籠って基礎練ばかりでしたから、
だからまた、自分と同じように楽器が好きな、いろんな人たちの音の中に身を置いてみたいんです。
曲なんて、何だっていいから、
集団の中で、音が出したい。





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結局モーツァルトが、一番難しい

夏の演奏会に向けた、
オケのパート譜の譜読みは、
マーラー、リヒャルトを過ぎ、
ついにモーツァルトへ。
モーツァルトのファゴット協奏曲。
そのバイオリンパートの譜読みです。
八分音符をどんな弓使いにするかとか、
スタッカートの長さやら、四分音符の減衰の具合など、
細かいことは当然パート譜には書いてなくて、
かといって、モーツァルト時代のウィーンじゃ、敢えて書くまでもなかったであろう、それらの慣習を、
21世紀の日本では、確かなことなど分かるはずもなく、
ああでもない、こうでもないと、
闇雲にいろいろ試したり、そこに理論的裏付けを探したりするような、多分見当違いであろうそれらの苦労を、無意味に繰り返すことになります。




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