ばよりん

音楽は



好きなときに始めて、
好きなときに終わる。

そんな営みだって、
ちゃんと音楽と呼んでくれるかしら。

向かいにある蜜柑畑の虫の声。
ある意思の下に発せられし音を、
仮に音楽と呼ぶなれば、

鳴声然り、
人の会話然り、
まな板叩く包丁の音然り。

少なくとも音楽は、
幾何学的な枠の中で構築された、壮大な構造体でのみある訳ではない筈。

4歳の娘ちゃんの
たどたどしい唄声が、
何よりの証拠。

僕は、そんな娘ちゃんが、
鼻歌を歌うみたいに、
バイオリンを弾けたら、
もうそれでいいんだ。




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もうやめよう





もう充分じゃないだろうか。
自分で言うのもなんだけど、
ここまで不器用なりに、
よく頑張ってきた。

車のハンドルを握り、
夕空を眺める。

空っぽの頭。
空っぽの心。




オケの練習が
意識はできてないだけで、
実は苦痛だったのかもしれない。
昨日今日の話じゃない。
それこそ学生オケの頃から。

沢山の刺激がいっぺんに入ってきて、
まともに対処できない。

頭は興奮状態
というかパニック。
そんな時も、周りは一時だって待ってなんかくれない。
いつだって音楽は流れ続ける。

フリーズしてしまう。
それは部屋で何度もさらった箇所。
パート譜のその部分、
目では捉えているし、頭の中で音が鳴る。
でも、身体が反応しない。
かと言って、ぼーっとしている暇はない。
列車は走り続けるのだから。

だめだ、弾けない。
また落ちた。
ここは、一小節いくつ振りだ?
ボウイングが前のプルトと違うじゃないか。
ボウイングを写さなきゃ。
えーっと、この部分はどんな指使いだったかな。
え?ここは、そんなに速くなるの?
ロングトーンが木管と、どう考えてもハモってない。
そもそも楽譜上ハモらないのか?
あ、置いてかれた!
今はどこだ?
テンポは?
頭拍が分からない!
次はどこから?練習番号の何番?それはパート譜のどこのこと?
空間が歪んでいく。

弓が弦の上でパニック状態。
周りを気にし過ぎるから、
音を控えめにするために、
次第に浮かせ気味で、歯が浮いたような音しか出せなくなる。
そのままfffでトレモロ刻むから、
右手に力が入り、
弓は変な方にズレてしまう。

物理的にも精神的にも、
自分の音がモニターできない。
一種の浮遊状態。
頭の中で鳴る音と、
周りの音がリンクせず、
体の動きに対して、音のフィードバックが無い。
すると、いつしか自分の身体が空間に実体を留めなくなる。
冷や汗、
次に手の感覚が無くなり

そして固まる。


時計を見る。
あと10分がんばれば、
予定では、練習が終わる。

ひどい頭痛。
周りに気を遣わせないためにも、
笑顔は取繕わねばならない。

最終的には、なんとか隣の人や周りの動きをマネするだけ。

自分が何故ここにいるかすら分からない。

昔から、
多分全体の半分以上、
僕はこんな感じだったのかもしれない。

ただ、音楽が好きだったし、
憧れもあったから、
いつも歯を食いしばって頑張ってきた。
おまけに無理してることに、
本人は全く気付いていなかった。

最近、もういいんじゃないかなと思う。

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マーラー辞めて、パーカーをさらう

あーっ
もークラシックなんて嫌だ嫌だ!
なんて思って以来、
同窓会オケの演奏会が夏にあるってのに、
マーラーも、
リヒャルトも、
モーツァルトも、
パート譜を見る気にもならなくなって、
それで、どうしたかというと、

Amazonでチャーリーパーカーのオムニブックを買って、コンファメーションをバイオリンでさらってました。どんな風にスラーつけたら、かっこいいかなあとか
考えながら弾いてると、楽しいです。
音源は、高校時代から何度も何度も聴いてたから、アドリブとか、頭の中で諳んじられるくらい。
そんな憧れのチャーリーパーカーと、同じ音を弾けるなんて。
バイオリンやってて良かった!
って、チャーリーパーカーはアルトサックスですけどね。
とにかく、何か楽器やってて、こうやって好きな音楽をなぞることができるだけで、もう幸せ。
ギター小僧が、好きなバンドのスコア買って、自部屋で、その気になってる気分。

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居心地の悪さ

ああ、
楽しく弾きたい。
楽器を弾く事で心からウキウキしたい。

もちろん、
楽器ケースを開けて、
音を出すだけで既に、
心は浮き立つけれど、

楽器を使って、
日々の生活を、
もっと生き生きできないかなあ。

オケでクラシックばかり弾いてきたけれど、
そもそも、クラシックは、
そんなに好んで聴いちゃいない。
バイオリンって楽器自体は好きだけど。

多感な頃にオケという集団で過ごしたせいで、
これまで、オケで弾くことに、
特に疑いなんて抱かなかったけれど、
そもそも、僕がしたいのは、
それだったかというと、
正直分からない。

僕はただ、
楽器で音楽をしたいだけなんだけど、
特にオケがしたいとか、
古いヨーロッパのシンフォニーなんかを弾きたい訳では、もともとは、そうじゃなかったんじゃないかなあと、

こんな年になって、今更だけど、
ぼんやりと思う今日この頃。

昔から、
たまにオケで感じる、
あの奇妙な感覚。
それは、ちょっぴり嫌な気持ち。
あれは、どんなに基礎練習をしたって、
どんなに演奏技術が向上したって、
多分根本的な解決にはならない。
あの場違いな気分。
胃の底から来るような、
居心地の悪さ。
これは、いくら練習しても、
たとえ上達したとしても、
多分変わらないかな。

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弦の張替え

弦を張り替えた。
といっても、
今はってある弦を外して、その前に張ってた弦に張りなおしただけなんだけど。

ヴィオリーノにオイドクサのE線。

先日のオケの練習で、久しぶりに消音器なしで楽器鳴らしていたら、
何だか共鳴しないから、音程が取りにくくて、
そういやあ、この弦は昨年の夏に張り替えて、久しく替えてないなあと思ったのです。
その弦は、ドミナントなんだけど、
結構劣化が激しくて、
もっと言うと、E線はゴールドブロカットなんだけど、
もう錆び錆びで、
こりゃいかんわと、それに比べて劣化の少ない古い弦と交換しただけの事です。

オイドクサのE線はアルミ巻きだし、錆びたゴールドブロカットよりはましだと考えたわけです。

新しい弦を買ってもいいけど、バイオリンの弦って、ギターみたいに手頃な価格ではありませんから、昔みたいな音色のこだわりもないですし、ま、古いので今よりましならそれでいいのです。

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不器用なサーフィン

夏の演奏会に向けて
日曜はオケの練習日。
何はさておき、
オケという場で、
楽器が弾ければ
ただそれだけで、
とにかく満足。

譜読みのストレスは、
昔も今も同じ。

ただ、昔と違うのは、
周りの音を感じられる程度の、
「いいかげんさ」を持てるようになったこと。

上手に弾こうとか、
いい音を出そうとか、
はたまた無謀にも、
何か表現してやろうとか、

そんな諸々については、
おそらく今はもう、
どうだっていい。

大きな音の流れに
なるべく長く乗っかっていたい。
サーフィンみたいに。
僕が今、オケで弾く事に求めているのは、
波乗りに近い楽しみかもしれない。


サーファーが、よい波をとらえた時みたく、
集団の生み出すリズムや、
曲のハーモニーの流れに乗っかれた時は、
まさに至福の時間。
世界は僕で、僕は世界な気分。

一方、波に上手く乗れずあたふたする時は、
ぽつんと一人、世界から取り残された気分。
ものすごく落ち込む。

若い頃はこの孤独感に、とてもじゃないが耐えられなかった。

精神的にもろく、繊細な人は、
あのタイプの孤独に対して、
過剰な自己主張、
或いは、まわりの世界への執拗な反抗によって対処する。
それを地でやってしまった愚直な若者こそが、
つまりは僕自身だったのだと思う。
なに、これは僕に限った話じゃない。

理由なき反抗

当の本人は、それなりに、
脇目も振らず、一生懸命。
言いかえるなら、
自分に一生懸命頑張っていた。
愚かなダンスに過ぎないにしても。

でも所詮、
孤独を感じようが、
まわりと一体感を感じようが、
一人は結局一人であり、
自分はいずれの場合も、
無くなりはしない。
ただ、それだけの事。

そんなことを言いながら、
僕は今だって
相変わらずに繊細で、
そして傷つきやすく、
他人に安心して心が開けない。
不器用な少年は、
不器用で屈折した大人になった。


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やり過ぎ病のささやかな望み

連休中にギターを、あまりにやり過ぎたせいで、
左手の指が腱鞘炎になりそうになり、
とりあえず今ギターはお休み。
バイオリンのみ弾いています。

最近、やり過ぎ病ってのは、ある技能を身につける時、稀に効果的に働く場合がありますが、やり過ぎ病の当の本人は、行為そのものが目的化しているので、ある種の中毒に近い物だと考えるようになりまして、
つまり寝食忘れてのめり込んでいては、脳は喜んでも、いつか身体が壊れてしまう訳ですから、
もし、のめり込みのコントロールが不能になる予感がしたり、実際身体が危険信号を発した時は、意識的にその事象から離れる事を気をつけようと思います。
腱鞘炎になっちゃ元も子もない。
やり過ぎは毒です。

バイオリンに関しては、夏の演奏会の曲の譜読みが一通り終了。
といっても、楽譜にある最低限の情報のうち、さらに必要最低限の物を音にできるようになったに過ぎないのですが。

一通り楽譜は見たので、月終わりにある合奏練習に参加しよかな。
途中山梨でオケの演奏会に参加した事を除いて、
ここ数年、ひたすら部屋に籠って基礎練ばかりでしたから、
だからまた、自分と同じように楽器が好きな、いろんな人たちの音の中に身を置いてみたいんです。
曲なんて、何だっていいから、
集団の中で、音が出したい。





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結局モーツァルトが、一番難しい

夏の演奏会に向けた、
オケのパート譜の譜読みは、
マーラー、リヒャルトを過ぎ、
ついにモーツァルトへ。
モーツァルトのファゴット協奏曲。
そのバイオリンパートの譜読みです。
八分音符をどんな弓使いにするかとか、
スタッカートの長さやら、四分音符の減衰の具合など、
細かいことは当然パート譜には書いてなくて、
かといって、モーツァルト時代のウィーンじゃ、敢えて書くまでもなかったであろう、それらの慣習を、
21世紀の日本では、確かなことなど分かるはずもなく、
ああでもない、こうでもないと、
闇雲にいろいろ試したり、そこに理論的裏付けを探したりするような、多分見当違いであろうそれらの苦労を、無意味に繰り返すことになります。




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でたあ!リヒャルト



夏の演奏会に向けて、
オケのパート譜を、ちんたらさらっている。
マーラーの巨人は、パート譜を音にするだけなら、何とか目処がたったので(これだけでは、他パートとの関係性が分かんないので、当然合奏では上手く弾けない。)今はリヒャルトシュトラウスの「薔薇の騎士」組曲をさらっている。
10年ほど前にも、今回同様、大学オケの同窓会演奏会に参加した事があったのだけど、その時のプログラムが、リヒャルトシュトラウスの交響詩ツァラトゥストラと、ブルックナーのロマンティックだった。
このブログの過去の記事を見れば、当時の僕が、リヒャルトの楽譜に苦しめられた様子が書いてある。
臨時記号の悪夢、
というか、調号自体嫌がらせなんじゃないかというような状況。これが彼の決定的な魅力なんだろうけど、
しかし、いつも決まって、複雑な楽譜の先に歌がある。
そこがリヒャルトのリヒャルトである救いというか何というか。
最初はしょうがないから、メカニカルにさらうんだけど、一旦歌が身体に入れば、あとは感覚で何とかなる。
つまり、リヒャルトは歌の人なんだと思う。
まあ歌劇だから。
にしても、相変わらず厄介な楽譜です。
でも、そんなにも嫌いじゃない。
リヒャルトシュトラウスの曲は、
独特なエロさがある。それが好きな人にはたまらない魅力なんだと思う。
弾く側は大変なのだけど。
今回のこのオケの演奏会は、ホルン吹きが泣いて喜ぶプログラムが二曲もある。
僕?僕はオケで弾ければ何だっていい。

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マーラー四楽章

マーラー譜読みの最難関?
四楽章の山を越えるべく、
しばらく基礎練はおあずけです。

偶数ポジションを使いまくったり、開放弦を弾いてる間にポジション上がったり、半音階を駆け上がる時に12 12ととって、それらしくごまかしたり、ポジション上がらずに指を広げて短6度?上の音をとったり、ありとあらゆるズルい手を使い?無理くり何とかパート譜3ページ分はメトロノーム二つ振りでいけるようになってきました。
かなり雑な音で、なんとか92のカチカチに乗っかれそうになってきました。

しかし集中力がもたない。
アドレナリンが足りない?
あと、フラット多すぎて音程がハマってるのかわかんない。

アーティキュレーションに関しては、お手上げ。
8分音符はさておき、16分をこの速さで弾くのに、僕の技量じゃ弓の使える分量は多くできないから、
あと使えるのは、
弓圧や駒寄りを弾くとか、あとは弓の場所くらいでしょうか。
因みに僕はもう若くないから、気合いっていう手は使えません。
そんな訳で、テンポを乱さずに、アーティキュレーションをつけるのは、難しいことだなあと、しみじみ感じ、自分のあまりの下手さ加減に、つい、にやけてしまいます。
楽しくがんばります。


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