映画・テレビ

マンハッタンとアルコール



木曜の夜だというのに、
うっかり酒に手を出してしまい、
自分の二十歳の頃のことを、思い出しながら
つい日付をまたいでしまった。
これは、あまり良いことではない。
最近アルコールを飲むとストップが効かない。
次の日に仕事があったとしても、
理性では抑えきれない。
これは悪い兆候。
血筋のせいか、
二日酔いにはならないけれど、
これはアルコール中毒の初期症状。
お酒はほどほどに。

ちなみに父方の祖父は、
多分アルコール中毒だった。
祖母が、こっそり一升瓶を水で薄めている話を、
子供時分に、居間で両親が話しているのを聞いた事がある。

話題は二十歳の頃の思い出。
自分が二十歳の頃は、甲府にいた。
大学が夏の休みになり、
中央線に乗って帰省する時に、
たまたま同郷の友人と一緒に電車に乗った事があった。

その頃僕は、バイト帰りにレンタルビデオ店で、洋画のビデオを借りて、下宿でビールをがぶ飲みしながら、眺めるのが好きだった。
で、その電車の中で、彼と映画について話した場面を
ふと、こんな何十年も経った真夜中に
思い出している。

「最近ね、ウッディアレンって人の映画で、マンハッタンってのが良いいんだよね。」

「へえ、どんな映画?」
と、その友人。

「チビでハゲな、ド近眼眼鏡の男がさあ、なんか知らないけど、モテるんだよねって、そんな映画。」

「それって、モテない男を勇気付けるって映画?」

「…そうかも」

いや、そうではない。
今ならもっとまともな説明だってできるかもしれない。

僕は、あの映画の橋のシーンに今でもウルっとくるし、
ラストの数分は、本当に素晴らしいと思う。
勿論、オープニングだって斬新だ。

一人きりで、
夜中に
誰かを思う
あの感傷的な瞬間を
こんなにも上手く表現した映画は、
僕はあまり知らない。

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マンハッタン

いつもは土曜は休みだけど、
今日は出勤。
帰ってきて、
昔みたあの映画を、
また観たくなった。

全編は無理だけど、
今は、一部だけならネットで見られる時代。

マンハッタン
1979年 アメリカ映画
監督、主演 ウッディアレン

あのモノクロームの映画
初めて観たのは二十歳の頃。
バイト帰りにレンタルビデオ屋で借りてきて、
真夜中に一人、観た記憶がある。
季節は夏か、それとも秋か。

記憶に残るシーンがある。
それは確か
夜通し歩いた後の早朝、
橋の見えるベンチで、
犬を連れたダイアンキートンと、
ウッディアレンが語るシーン。
恋をすると、人は夜明けまで語り合えます。
朝霧に浮かぶ橋の光景。
バックに流れるガーシュイン
Someone to watch over me
実にぴったりな選曲。
不器用な二人。

こんな忘れられない風景を、
きちんとお膳立てして、
数万人の観客の脳裏に、
ある種のトラウマみたく刻み付けるような、
そんな存在感のある映画って、名作なんだと思います。

それにしても、
コメディアンと呼ばれる人が、
ふとした隙にみせるあの、
寂しさだったり、物哀しさだったり
そういったものに、
ある種の色っぽさを見つけてしまったら、
多分おちちゃいますよね。
ふぉーりんなんとかです。

チャップリンには、それが確実にあった。
街の灯しかり、黄金狂時代しかり。
寅さんやってる渥美清にもあった。
「男はつらいよ」は、笑えるだけのコメディなんかじゃない。
ウッディアレンにだって、
それは確かに、
ある。
笑いと哀愁は、
切っても切れないもの。
本当の笑いは、
悲しみの先にあるものかもしれない。
ラストシーンのあの表情。
あれはチャップリンの街の灯に匹敵するか、あるいはあの作品に対するオマージュなんじゃないか。

喜劇なんかじゃない、人生は、むしろ悲劇だ。
だけど悲劇の中で、どうやって最善を尽くすかって事だ。そんなことを、ウッディアレンは話していたらしい。

ちっぽけな自己が、精一杯はち切れるくらいに膨らむ時、
そこに悲劇というエネルギーが存在する場合もある。
笑いは変化球。だけど、人の気持ちを動かすには、一番有効な手段。
かもしれない?

人生は、基本的には
悲劇なんだと思う人間にとって、
それを伝える有効な手段は、
突き詰めれば結局は、
笑いなんだろうと、
僕は、そう考えるたちの人間です。
だから、そんな類のコメディに、
それがコメディにもかかわらず、
意図せず心地よい涙を流せるのかもしれず。




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