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コミュニケーション不全の宿命に関する個人的考察

ああ馬鹿馬鹿しい、
早くこの場から離れて、
一人で緑豊かな公園かなんかをブラブラ歩きたい

そんな現実逃避の誘惑に駆られる事って、
誰しもある?
それとも僕だけ?

質問する相手の先に、
求めている答えが見える。
虚しい気持ちになる。

怒って文句を言いに来た人の目には、
大抵漠然とした不安の色が見て取れる。
そんな時、その目を見つめ相手の話を聞きながら、「そうですよね」とか、「なるほど」とか言いながら頷いているうち、多分問題のうちの七割くらいは解決している。

人に分かってもらうには、
相手の思考のレールの上に乗っけてあげなくてはいけない。誰も自分の信念があり、(大抵それは、何したらいいか分からないから、とりあえず権威とか集団心理にに乗っかっただけである事が多いにしろ)そのフィルターから外れた情報は、たとえそれが理にかなっていたにしてもはじかれてしまう。

かく言う僕も御多分に洩れず、つまりは人間の端くれだから、やはり自分の物差しから外れたものを受け入れる事に対処する時には、ある種の不器用さを持っている。

この不器用さは、年齢を重ねるごとに、それこそ関節可動域が制限されるみたく、不可逆性が増してくる。
簡単に言えば、頭が硬くなるという事。
でも別に歳とは関係なく、硬い人は元々硬い。

物事を見る時に、その根本を探す事。
これに尽きる。
川の源流まで辿ってから、
全体を俯瞰する事によって、
初めて何なのかが分かる。
当たり前と言えばそうなんだが。

若い頃は、とにかく焦るから、
川の下流の、つまりは具体的な方法ばかりを求めるけど
じつは源流さえちゃんとつかんでいれば、
あとは別になんて事はない。
自由な自分のままやっていけるものだ。

理屈が通れば、人は納得するものだと、
少し前まで僕は信じていたけど、
多分そうじゃないらしい。
最近気づいた。

理屈なんかで心は動かない。
どんなに説得力のあるプレゼンであっても、
それぞれには、知らない間に身に沁みたやり方があるわけだから、
それから外れる事を求められた途端、
目の色変えて非難するものだ。

それが意外にも、
指導的立場にある人や、
管理職やリーダーであったりするからやっかいだ。

これはある意味通りにかなった事。

つまり権威ある人は、
永年その権威を得るために、
その時の社会が求める価値観を自分の中に移植し育ててきた人たちな訳だから、
もし仮に、その価値観を否定するような内容を受け入れたりなんかしたら、自己崩壊を起こしてしまうのである。
だから目くじらたてて執拗に叩きまくる。
或いは目尻にシワを作り不自然な笑みを浮かべ、
表面上は受容しつつも徹底的に取り合わない。
当人たちはそれらを意図して行っておらず、
無意識にそうしているに過ぎないのだが。

そんな人達をディスリスペクトするつもりは毛頭ない。
でも、そういった事が見えると何だか萎えてしまう。
コミュニケーションの意欲が根底から挫かれてしまう。
そんな時は、にっこり笑って相手のレールの上で話を合わせ、さっさとその場を離れたくなる。
ずるいなあとは思うけど、
誠心誠意伝えようとすればするほど、
僕は不器用である分、
少なからず傷つくのだから。
相手のせいか、
それとも自分のせいか。
そもそもそれは、生きる上で支払わなくてはいけない対価なのかもしれないとすら思う。

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