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フィジカルからロジカルへ

今夜もまたバイオリン。
誰に聴かせるでもなく、
ただ自分の為だけに。

こうやって楽器を弾くのは、
ちょっぴりテレビゲームにも似ている。
最近息子がハマっているニンテンドースイッチ。
オデッセイとかいうらしい。
よくわからない。

空間にポツンと降り立つ。
いろいろと試してみる。
上手くいくときもあれば、そうでないときもある。
ただ、そうやって試しながら、
新しい自分が生まれるのを感じる。
昨日は気づかなかったものが、
急に見えてくることもある。
今まで見ていた世界が、ガラッと変わり、
分からなかった事の意味がふいに立ち上がる。

こと楽器演奏の技術に関して、
僕の二十代、三十代は、
ほぼフィジカルな課題に対するアプローチだった。
自分の身体に対するイメージを一つずつ再構築することで、
できないと思っていた事が、
手の内に入るようになる。
繰り返しのスポ根的なエクササイズだけでなんとかしようとするのではなく、感覚を研ぎ澄ます作業。

ブルース リーじゃないが、
「考えるな、感じろ」だ。

肩甲骨から腕である、あるいは鎖骨と胸骨の接点からが腕であるという気づきは、僕の身体意識を根底からくつがえす革命だった。
もう一つは、左手のこと。
手のひらをネックの方に向けるのではなく、指を扇のように開く事。そこに至るには、まず骨格上指が何処から生えているかを意識する必要があった。
右手に関して言えば、手の内旋外旋は尺骨を軸に行われているという事を知る事で、ボウイングが途端にスムーズになるという、つまり小指側を意識する事により、腕は背中から一体になって羽ばたくという事実。
今思えば必然だったが、ある時期から肩当を外すことになり、楽器を鎖骨に載せるようになると、
ますます身体と楽器は近くなり、いくら弾いても以前程は疲れなくなった。

身体に関する事を気にかける必要がなくなればなくなるほど、演奏自体に余裕が生まれた。
つまり、そこに冷静な思考が立ち現れる事になる。

楽譜を読んで、そのままを再現する。
演奏にパッションはいらないのかもしれないとすら最近は思う。
ロジカルな思考を、冷静に、正確に再現する。
楽譜に書かれた情報は、
つまりはそれをちゃんと再現しさえすれば、
ちゃんと美しいわけで、
それ以上でもそれ以下でもないという、
当たり前と言えば当たり前の事。

でも、もし楽譜の情報を再現するだけだったら多分足りない。
音にする過程において、そこには根拠なり理解なり哲学が必要なんだと気づく。
楽譜は設計図。
マニュアルの先にある意図を見通す事で、
毎日は僕たちの手の内に入る。
つまり音に主体性が現れる。
つまり、ただ気合いやパッションでかき鳴らしてもあまり解決はしないのだった。
そう思うと、もしかしたら
5年くらい前と今とじゃ、僕の音は随分と違うのかもしれない。それがいいのか悪いかは、とりあえず抜きにして。

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