« ついにニコロサンティを手に入れる | トップページ | 味噌にぎりの味 »

花巻へ

「まもなく当機は着陸態勢に入ります。」
とCAのアナウンスが入る。
隣に座る8歳の息子は、ややひきつった頬を赤らめ、忙しなく座席のベルトを締めた。
本来その席には、息子ではなく僕の父親が座っている筈だったが、
自治会長として神社の例祭に出席するとかで、つまり、こうなったのである。
緊張した面持ちの息子くん越しの、20センチ四方の小さな窓からは、黄色く色づいた花巻の田園が見える。

午前11時過ぎ天候は曇り。
空港へ降り立ち一目散にトイレに向かう息子。

「ついに?それともやっとだろうか。」

息子の左右に揺れるリュックサックを見ながら思わず呟く。

思春期の頃、なにせ反抗期なものだから、
父親の言うことなすこと全部気に食わない。
当然ながら父の生まれ故郷に行く気など、
当時はこれっぽちも無かった。

最近僕は思う。
人が他の、例えばバッタだとか猫だとか、そういった生命とはっきり違う点は何だろうか。
それはつまり、
突き詰めれば記憶の伝承なんじゃないだろうかと。
そう思うに至った。

人の与えられた時間は有限である。
はっきりしている。人はウミガメほどは長生きできない。
こと人体の耐用年数なんて、はなから決まっている。
僕自身この先老化はしても若くはならない。
あたりまえのこと。

僕はこれまで、
それほど多くはないにしろ、
それなりに人の死に出会ってきたつもりだ。
だから他人にとって、誰かの生というのの一部は、
つまりは記憶なんじゃないかと思う事だってある。
自然な成り行きと感じるのは僕だけだろうか。

人との出会いというのは、
結局はお互いの頭脳の中にそれぞれの自己を住まわせるという行為でしかないのかもしれない。
だからこそ人はある意味、
死んでも生き続けられる。

ある年齢になるとみんなそこに気づくらしい。
だから説教臭くもなるでしょうし、
孫を可愛がりたくもなるでしょうし。

そんな訳で、
空港でレンタカーを借り、
僕は息子と、父親の幼い記憶を探る旅に向かった。
プランはまだない。


報告は気が向いたらします。
というのも、今とにかく仕事が忙し過ぎて、なかなか時間が取れないのです。




|

« ついにニコロサンティを手に入れる | トップページ | 味噌にぎりの味 »

ぼんやり旅」カテゴリの記事

ぼんやり日記」カテゴリの記事

コメント

大変ご無沙汰しております☆

今日は、幕張メッセでXのライブです(*´ー`*)

千葉で一泊してきますが台風が心配。。

記録より記憶を…☆

今日もあなたもアタシも、素敵な1日となりますよぅ✨

投稿: こーちゃん | 2018.09.29 08:58

ご無沙汰しています。
思う存分紅に染まってくださいね。
素敵な時間が過ごせますように!
コメントありがとうございます。

投稿: tkm | 2018.09.29 10:40

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ついにニコロサンティを手に入れる | トップページ | 味噌にぎりの味 »