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スイング(振り子のように)

音楽を聴く時に使う脳の部位が、記憶を司る部位と近いものだから、人は音楽によって過去を想起しやすいのだ。という都市伝説がある。
あるいは音楽は右脳を刺激するから、過去のイメージを引き出す触媒になるのだという説もあるらしい。

僕が勝手に思っているのは、
音楽は聴いているときは右脳。
弾いているときは左脳。
ということ。

脳細胞は年齢があがるほどに淘汰され死滅し続けるらしいけど、それと同時に使われなかった場所の開拓も続いてゆくらしい。
僕は、たぶん三十代前半くらいまで、
こと音楽に関しては殆ど右脳のみで処理していたと思う。
全体の大きな空間の中の響きとして、全部ひっくるめて感じていた。
サウンドの匂いとか、色、空気を感じながら、誘発されるイメージの湖に漂うのが好きだった。
しかし、こと音を生み出す側においては、
それとは違った感覚がある事を後になって知った。

それまで僕は喩えて言うなら、森の中を彷徨い歩いていた。
しかし霧深く、これまで一つの塊として感じる対象だった森が、実は木々や生物達の複雑な関わり合いによって編み込まれたタペストリーだと気付いた時、
その編み方には、哲学や法則、定理がある事を実感する事になった。
三次元から二次元へ。
そこに論理的な糸が登場した事により(いや、もともとあったのに見えなかっただけなのだけど)
一気に森が都市に変わる。
神話が科学に置き換わる瞬間。

半ば強引に言うなら、
科学というのは、
分析であるかもしれない。
それはチャーリーパーカーのアドリブを、バークリー音楽大学が分析してメソッド化したように、ある突発的な現象を後から解析して意味付けし、体系化する事により、パブリックドメイン化する事なんだとも言える。

なぜ?から探求が始まり、
誰にでも通じる形にまで理論化される。
これが科学的な知の確立のプロセス。
むしろそれ自体が科学とも言えなくもない。

理屈だとか科学だとかは、
謂わば脳の左半球が多く担うであろうカテゴリー。
ベートーヴェンなんかは聴覚を失う事により、
感受される意味での音楽を無理やり奪い取られた。
しかし反面それにより、理論的な説得力の高い構造体を作り上げる事にエネルギーが向かったとも言えないだろうか。

右脳から左脳への移行、
しかし、こういった事につきものなのは揺り戻し。
周期はそれぞれだけと、大抵の事は振り子のようにスイングしている。
森を見て木を見る。
木を見て森を見る。


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