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ユング的な

食卓に、いくつかのおかずののった大皿がある。
例えばそれはエビフライだったり、
餃子だったりするのだけど、
五歳の娘は、10以上のカウントもままならないのに、
その大皿のおかずを見て、
瞬時に「一人2個ずつだからねっ!」と、
半ば高圧的に言い切る。
この歳で既に、
彼女は持っているのだ。
女性特有の、
あの完熟トマトを崩さずに両断出来るほどの、
切れ味の良いナイフを。

アニマとアニムス。

カール・グスタフ・ユングが提唱したこの用語を知ったのは二十歳の頃。

当時の愛読書は
河合隼雄著
「ユング心理学入門」
だった。
当時まだサリン事件の余韻も冷めやらぬ頃。

バブル景気は呆気なく崩壊し、
年商数億の社長を
一夜で別の誰かに変えた。

大学時代に飲み会の会場に向かうため、
友達と乗り合わせたタクシーの運転手がそうだった。

彼は夜の笹島を大門方面に走らせながら、
昔の思い出を、さもお伽話か何かのように、
遠い目で話していた。


1945年の日本の敗戦は、
当時の子供達に、
「集団における常識ってのは信用ならない。」
という、
ある意味魔術に部類されかねない暗示を、
与える事になる。

そして同様に、
バブル崩壊直後の日本というのは、
敗戦の時ほどではないにしろ、
「経済的豊かさは、幸福とは関係が無かった」
といった暗示を、
少なからず当時の若者たちに与えた。
時代の空気をもろに被った彼らは、
自分探しの名の下、旅に出る事になる。
ヒッピームーブメントの再来。
僕もその時代に若者だった世代だ。

話が横道に逸れてしまった。
エビフライの数を瞬時に数える、
五歳の娘の話。

結局、原初の話じゃないけれど、
数を数えるという行為は、
つまりは欲望の根本であるわけで、
数というものにまつわるあれやこれやの知恵は、
元を辿れば業のなせるワザといった側面で
見ることだってできるのではなかろうか。

平等平等と声高に叫ぶ人ほど、
自分の利益に敏感であるように、
言葉の裏で、粛々と進められているそろばん勘定。

自分を中心に世界を作ってゆく物語形成。
藁で編まれた鳥の巣。
穴を掘って作ったウサギの巣。
母は自分の巣で子を養う。
完結した自己は、自明のようにそこにある。

均等に割りましょうなんて、
自分の利益に敏感でなくちゃ思いつかない。
それが逞しさであり、
それが生命力の原理とも思える。

男性の側が幻想の中で見る女性像には、
それが欠けている。だからギョッとするし、
拒否反応すら示す人だっているかもしれない。

でも五歳で既にこうなんだから、
しょうがないよね。
この強固な彼女のエゴが崩壊するには、
もしかしたら誰かとの運命的な出会いを伴う恋愛かもしれないし、はたまた出産後の育児かもしれない。



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