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相手が物である事の救い

最近仕事が忙しすぎて、
楽器ケースを開ける回数が減っていましたが、
ある日久しぶりに弾いたら、
何だか違和感を感じる。
楽器を右手にバイオリン、左手に弓を持っているような違和感。
あ、これは楽器と自分とが疎遠になるサインだと、ピンときました。
当たり前のように体に馴染んでいた道具が、
何だかよそよそしく感じられるという事は、
つまりは生活の中で、その道具の価値が以前と変わってしまうという事かもしれません。
相手が人ならまた別なストーリー展開がありますでしょうが、
今回の件に関しては、イニシアチブは全面的に僕自身にあり。
つまり僕が楽器を自分の方に引き止めようと行動すれば、この危機は何事もなかったように、あっさりと解決する。

なんてこたない。
単なる練習不足。

そんな時、一発で効く頓服みたいな方法がある。
といっても地味な基礎練習。
ボウイングと音階練習。
地味だけれど一番の近道。
30分で元の感覚が返ってきました。
関係修復完了。

バッハの無伴奏をとにかくゴーって音で鳴らして、
楽器を響かせて響かせて、
リハビリ終了。
身体はポカポカ、楽器も程よく汗ばむ。

気付いたら一年くらい弦を張り替えていません。
ドミナントがいい具合にヘタって、
発音や音程の誤差に寛容になっています。

でも別に切れてないし、
まあ替えなくていいかなとも思う自分がいます。
ただ自分の楽しみで弾くというのは、
つまりそういう事なんでしょうね。
誰かと一緒に弾くという事は、
自分の音に対する意識も同時に高まります。
自分が自分のために楽器を弾くという事だけのために、
楽器を所有し使用するのは、果たしてあるべき姿として自然なのだろうか。
弾き手と楽器という関係を超えて、
音楽である事を求めるなら、やっぱり他者の存在を想定しなくちゃならない。

つまり楽器はやはり、
手段以上でも以下でもない。

そして人という生き物は、
結局のところ、
一人きりでは完結できない生き物なのでしょうね。
音楽も人の営みである以上、
この運命とは無縁ではいられない。

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