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雨上がりのアスファルト、ボサノヴァ

ここ数日のどんよりとした空も、
午後になると雲が晴れて、
久しぶりに黄金色の17時。
いつもなら帰る頃は真っ暗だけど、
今日は出張だったから、
職場へ帰らず自宅へ直帰。
濡れたアスファルトがキラキラと光る中を
のんびりドライブ。

仕事というのは社会的な営みだから、
たとえ在宅ワークであっても、
他者との関係の中で行われるもの。

例えば一人で黙々と籐籠を編む伝統工芸の職人さんであっても、それを生業とする限り、
当然自分の作品を手にする誰かを想定し、
自分にとっても、相手にとっても
価値あるものを作ろうとするもの。

その想定する他者というのは、
自分がおもんばかるところの他者であり、
それは、自己の想像するところのものであるわけだから、
つまり自己の投影というフィルターを通る事がある意味決められてしまっている。
そこが、仕事に現れるその人らしさなんじゃないかなあと思うし、
その事が社会にあって、
人に孤独を感じさせる要因でもあり、
また他者との共感という救いを自ら手に入れるための、
小さなドアなんだと思う。

結局人は寂しい生き物だから、
一生かけて、
その共感の鉱脈を探って一喜一憂しながら、
食って寝て死んでいくだけなのかもしれない。

世界との一体感を求めるのは、
人の宿命なんじゃないかと最近思う。
大体この世に生まれるという事は、
母体からの切断という悲劇から始まるわけだから。

仕事をしながら、
でも自分である事。
自分でありながら、
世界でもある事。

これをいろんな場面で、
とっかえひっかえ、
縦に横に斜めに見ながら、
ああでもない、
こうでもないってやりながら、
誰もかれも、
そうやって生きて、
そして死んでゆく。

夜になる前の、
空が赤紫に染まる頃、
信号待ちで、
トムジョビンの名作「三月の水」を、
ジョアンジルベルトの歌とギターで聴きながら、
フロントガラス越しに、
飛行機雲をぼんやり目で追っている。

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