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クラシックとジャズと

クラシックも確かに楽しい。
書かれてある楽譜の情報を、
細かく読んでいくと、
そこには明確な意図があって、
理屈がある。
意図なり理屈がみえると、
途端に仲良くなれる。
つまり信頼関係が生まれる。
100年以上地下に閉じ込められていた誰かを救出したような感覚。
遺された楽譜の音符を、
胸躍らせるながら紐解く感覚。

もし正解がある事を前提でやれば、
すごいストレスなんだろうけど、
その行為自体は、
本来とても温かくて、
人間的な営みだと思う。

遠い昔の遠い国の誰かが、
遠い将来の遠い誰かに手紙を書いた。
言葉は国ごとに違うから、
もっと物理的に分かりやすい形で遺す。

楽譜というのは、その意味では合理的な記号だといえるかもしれない。

それを、遠い未来の誰かが
親しみを持って読み取ってゆく。

それは愛だと思う。

対象は作曲者であると同時に、人類全般に向けたものであるとも思える。

クラシック音楽が考古学的な意味ではなく、
価値があるというのは、
そこに理由があるんじゃないかと、
僕は個人的に信じています。

ジャズについては、
近いけれどまた違う意味がある。
これはもっとスポンティニアスな捉え方がなされている。
楽曲の枠組みに寄生しながら、
その中で今を生きる。
そうするためには、
寄生する対象を、
それこそ自分自身であるかのように、
分析し、受容しなくてはならない。
つまり、
あなたのこの行為には、
全面的にリスペクトしつつも、
そこにはまだ語られていない可能性がありますから、
それを再構築して、今の時間に還元します。
そうする事によって、
この作品を、今の時間に新鮮な意味を持って存在させる事ができるのだと、
つまりはそれがジャズ的なスタンダードに対する立ち位置なんじゃないかなあと、
勝手に思います。


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