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ある春の日に

下宿の南側の壁にもたれると、
陽光が背中を温めた。
畳に映る自分の影を見ると、
肩からもやもやと、湯気のような揺らめきが見える。
目を細めながらフィリップモリスを一本、
袋から取り出して火を点けた。
煙を吸い込みながら天井を仰ぎ、
ふうっと吐き出してみる。

一昨日あたりから外が騒がしい。
下の階に住む管理人の息子の小学校が、
どうやら春休みに入ったようだ。
とにかく不用意に声がでかい。

昨晩の飲み残しの
気の抜けたミラービールを喉に流し込んで、
その銀色の空き缶に煙草の灰を落とす。
灰は缶の底に落ちると、
シュッという音がした。
灰皿くらい買えばいいのに。
それすら面倒くさいのだ。

昨夜も眠れなかった。
夜中じゅう起きてテレビを観たが、
寂しさは癒せず、
しょうがないから、
学生手帳の裏についていた全国の大学図書館に片っ端から電話をかけた。
とんだ迷惑なイタズラだ。
夜中の2時、3時。
電話に誰か出るなんて、まずありえない。
自分が耳に当てている受話器の先で、
遠いどこかの街の
真っ暗な図書館で電話が鳴っている。
その事が、どうしようもない寂しさを忘れさせるように感じた。

その夜、一件だけ電話が繋がった。
九州の方にある大学図書館にかけた時だ。
用件を尋ねられ、動揺した僕は
思いつくまま、咄嗟に「開館時間はいつですか?」と尋ねた。申し訳なさに頭にちがのぼる。
受話器の向こうの男性は、
声の感じから自分の父親と同じか少し上の年齢だと分かった。ほんの僅かな沈黙。
「10時からですよ。いろいろあるかもしれないけど、しょうがないから今日はとりあえず寝て、10時にまた来なさい。」
声から体温が感じられる。そんな穏やかな声だった。
僕は、こんな真夜中に電話をして申し訳ないと言って、ゆっくりと受話器を置いた。
いったい僕は何をやっているのだろう。
そして深いため息をついた。
さっきまで受話器を押し付けていた耳が、
しっとりと暖かい。
テレビをつけると、
スティービーワンダーのバラードをBGMに、
東京のなにげない風景の映像が流れていた。
遠くで鳥がさえずるのが聞こえ、
カーテンがうっすら青くひかり、
いつしか夜が明けていた。

下宿は甲府にあった。
とてもじゃないが九州になど行けない。
なんとも言えない気持ちを抱え午前10時、
部屋の窓辺で煙草を吸っているのだった。
遠いあの大学にある図書館は、
もう開館したろうか。


今から二十年以上前の話。
今更ふとそんな事思い出すなんて禁煙の影響でしょうか。
それはさておき、あの真夜中の電話で
救われた若者がいるなんて、おじさん知るわけないよね。

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