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傷ましき腕

これは負け戦だ。
としても、自己の存在を信じられるような、
心の支えというのは、
やはり自己責任という無責任な言葉の下
探さなくてはいけない。
おもてがどんなに冷え切っていても、
心の火に薪をくべ続けねばならない。

自己責任

例えて言うなら、
土砂降りの雨の中で、
泥道で足を滑らし顔から転んだら、
その頭を誰かがブーツの踵で泥の中へと押し込む。
悪いのはあんただよって。
そんな類の言葉だ。

忖度を上手くできる社会は、
裏に凄まじい憎悪を抱えている。
周りを気遣って、
自分を押さえ込んで、
誰からも文句言われないようにした人は、
いつしか押さえ込んだ感情が振り切れそうになると、
静かな暴力性で
自分がコミットした価値観から外れた他者を、
執拗に批判するようになる。
やっかいなのは
周りを伴って、
それこそお誘い合わせのうえで、
集団として押しかけるという事だ。
彼らは、さも自分たちのみが常識的であるがごとく話をしたがるが、
時に冗談めかして横の誰かと微笑み合いながら語るその笑みが、だいたいにおいて、
僕から見たらひどく歪んで見える。

実に悲劇的なのは、
この違和感は、それを感じる当人が、
たとえ、どんな表現テクニックを駆使したところで、
目の前にいる自分たちこそが世界を背負っているとすら疑わない人々には、
けして伝わることはないという事だ。
そう感じた途端、
決まっていつも僕は、
生きる気力が萎える。

この感覚について、
それを被害妄想だと断じる人の事を、
僕は根本的に信用しない。
彼らは散々丸太で殴り倒しておきながら、
悪いのは俺じゃない。
殴られたお前がした事だろと言う。

地面に顔を擦り付けられて、
立ち上がろうにも足が立たない。
孤独な自己は、
この瞬間に輝くと岡本太郎は言う。
額、
首、
肩、
肘、
指、
腰、
膝、
足。
全存在を否定された途端に、
全細胞が沸き立つ。

負け戦だ。
そうとも、確かにそうかもしれない。
しかし、それしかないなら、
そうするしかない。




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