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あけました

新年といえば、
ウィーフィルのニューイヤーコンサート。
今年はムーティが指揮していた。

ヨハンシュトラウスって、
本人の意思とは別にして、
結果、創作の実を残せて幸せでしたねと、
ニューイヤーコンサートを見る度に思う。
勿論、幸せなんてものは、
生きている個人の、
受け取ったあり方が、100パーですから、
結局は、まわりの人たちの、勝手なお仕着せにすぎないのだけど、
こうして死後100年以上経った誰かの楽譜をネタにして、
それぞれの幸せなひと時を過ごせる事は、
まあハッピーなことなんでしょうね。
僕?
僕は、最近特に興味はありません。
小学校から中学にかけては大好きでした。
カラヤン、クライバー
格好の現実逃避。
グローバル化の功罪は、
個人個人のエキゾチズムを壊滅させたことだと、
僕は思うのですが、
遠いオーストリア、
ウィーンの金ピカの楽友協会の
あの花畑のようなステージの幻想ですら、
魔法が解けた後みたいな、
なんとも言えない味気なさがあります。
ムーティが指揮しても、
ドュダメルが指揮しても、
たとえウィーンフィルがどんなに気合い入れても、
この虚しさは、どうしようもない。
この世界が悪いのか、
それとも、僕そのものが悪いのか。

その類の問いの答えは、
いつも決まってこうなっている。

「どっちもだよ」

文化というのは、
メディアを創造する側にばかりに、その主導権があるわけではないと、実感を持って感じている。
つまり、長い目で見たら、
受け手の在り方、育ち方が、
良質な文化を生み出しもするし、
トラッシュ缶に放り込む事だってするかもしれず。

歌舞伎や文楽なんて、
本当の価値を分からない人しかいなくなったら、
即刻滅びる文化だと思うし、
誰も対して素晴らしいなんて言わないような事を、
心から愛する人が、いつの時代にもいるけれど、
その人をピックアップできるような、
阿弥陀の手の指の間にある膜のようなものを、
ちゃんと持って生きている人が、
今日も明日も、
ふらふらになりながら、
なんとか生きている事こそが、
僕らの明日や、明後日を
支えているのだぞ。

だから、
僕は、ふらふらのまま、
ここに宣言するのだけど、

僕は今年も、
たとえ誰からも「いいね」という馴れ初めの賞賛が得られなくとも、
自分のこの繊細すぎる、
不器用極まりない感性のアンテナが傍受した情報を、
なるべく丁寧に、
綺麗にトリミングをしながら、

誰が見るともわからない、
この電脳空間に、
公衆トイレの落書き宜しく、
書きなぐっていこうと思います。

僕は、僕の感じた事を、
僕が生きた証として、
この空間に、
数メガバイトの容量で落書きする。
誰か見てるのかなあ。

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コメント

あけましておめでとうございます(*´ー`*)

ちゃんと、みてるわょ☆

近々、飲みましょうネ✨

本年もよろしくお願いいたします。

投稿: こーちゃん | 2018.01.02 09:17

いつもありがとうございます。うれしいです。
ぜひ近々のみましょうね。
今年もよろしくお願いします!

投稿: tkm | 2018.01.02 10:22

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