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2018年1月

猫のおなかと寺内貫太郎

そして今夜もリビングのソファで
猫を膝にのせながら、
寺内貫太郎を観る。
いいなあ貫太郎。
貫太郎っていくつぐらいの設定なのかなあ。
長女の梶芽衣子は、たぶん二十代前半の設定だから、
昔は結婚するの今より早いから、
22で結婚とか考えると、
45歳くらいかなあ。
とWikipediaみたら当時の小林亜星はなんと42歳!
貫禄あるなあ。かっこいいなあ。
ああはなれないよなあ。

不器用というのが、繊細さの裏返しだという事から生まれる色気を、
ちゃんと味わえる感性を持つ人は、
今の時代、
どれくらいいるのだろう。

当然危険な要素も含まれている。
それは
乱暴者は、本当は繊細で優しい人なんじゃないだろうかという幻想。
そこにハマる人は、
身体中に青あざを作りながら、
きっと本当はこの人は繊細であまりにも傷つきやすいのだろうと、
結局でっちあげの妄想を投影しているだけかもしれない。
当の乱暴者は乱暴者で、
そうする事で甘えさせてもらえなかった過去を歪んで解消しているので
つまりはエンドレスなプレイにすぎない。

大切なのは、
ちゃんと自分なりの意思を持ち
生きていること。
それのある乱暴者と、ない乱暴者は
全く別な生き物。

上っ張りに惑わされると、痛い目に会いますよ。
その奥にあるのが見えると、
今まで見えなかったものが見えてくるのかもしれません。

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赤面の自意識

僕は今でもそうなんだけど、
ある意味嘘がつけない人間だ。
別に誠実な訳ではない。
気持ちが顔に出てしまうのだ。
隠したいような感情に限って顔に出てしまう。
中学時代は、何か動揺するとすぐ顔が赤くなった。
自分でもそれがわかるのは、
頭に血が昇るのが身体的によく分かるからなんだけど、
人間社会の一見整理された、
でも非常に脆くて耐用年数の低いシステムと
無意識とか本能とかいう、
人類の何百万年の歴史を通じて引き継がれたプログラムの狭間の問題。
それに、ちっぽけな自分はいつも右往左往していた。

ふと中学3年の事を思い出した。
授業の合間の休憩時間。
若い僕はそれが本当に苦手だった。
まわりに合わせることはある程度はできたけど、
そうすると、ひどく疲れてしまう。
生まれつき適当なんてできない。
だから大抵寝たふりをしていた。
本当に寝ることなんてできないから
顔を伏せながら得意の白昼夢。
一種の解離。

遠くで僕を呼ぶ声、
顔を上げると、廊下から手招きする女子が3人。
この3人というのがミソである。
女子が二人以上集って呼ばれる時にロクなことがあった試しがない。僕は彼女たちの方に向かう。

「ねえ、修学旅行でさあ、〇〇君と一緒のグループだったじゃん。余分に写真買っておいて欲しいんだけど…。」
僕は、顔を赤らめながら
「う、うん。いいよ。」
というのがやっと。
席に戻り赤くなった顔を如何に元に戻すかに気を揉む。
別に僕の写真が欲しいって言われたわけじゃないのにね。気にすればするほどに顔は赤くなるものだ。

例の〇〇君は野球部。
顔が柳葉敏郎に似ていたから、
あだ名は「ギバちゃん」だった。
短く刈った前髪をムースで斜めに持ち上げた彼は今どうしてるだろう。
中学の頃を思い出すと足元がぐらつくような不安を感じる。あの時代は周りの友達が何を考えているのか、あまり理解出来なかった。理解不能のままアンテナをさらに鋭敏にして、他人に話を合わせる不自然な営みが当時の僕の日常。
そこからの解放はもっともっと先の話。
当時はそんな事考えることなんて無理だ。
その世界にどっぷりと浸かりながら違う視点で捉え直すなんて超人的な技を望むこと自体、思春期の僕にはそもそもナンセンスだった。





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日曜の大きな池にて

日曜、11時。
家族四人で市民図書館へ行って、
各々に好きな本を借りる。
そして帰りに近くの公園へ立ち寄って、
芝生の上で息子とドッヂボールを投げ合う。


僕の生まれたこの地には、小高い丘に大きな池があり、
1970年代初頭、周囲の自然林を整備して大きな公園ができた。
池を巡る二本の遊歩道に加え、テニスコート、野球場、そして芝生の広場には小動物園がある。
もちろん図書館もその敷地内にある。

公園ができた1970年代といえば、
まだ市が誕生して間もない時期。
市内には日本有数の大きな製鉄所があり、
沢山の若い労働者が全国から集った。
自分の父もそうだった。
岩手から兄弟で移住。
後に両親を呼び寄せ定住し今に至る。
一方で、元々農業に向かなかったこの地は、
1960年代にできた用水により大きく変わる。
加えて、製鉄所も含めた大きな工業地帯を抱えることにより、市は財政的に豊かになり、
つまりはこんな大きな公園ができたというわけだ。
だからだろうか、
この公園にいると40年数年前の
どこか浮き足立って、
そしてワケもなく胸躍る当時の雰囲気の名残が、
少し感じられるのだ。

僕は4歳まで製鉄所の社宅で過ごした。
大きな団地だ。
12号棟まであっただろうか。
四階建の鉄筋コンクリートの社宅はほぼ満室。
グランドを囲むようにして、灰色の団地が立ち並ぶ。
中心近くに大きな貯水塔があった。
数年前にはまだあったが、今はもうない。
周回路があって、桜の木が植わっていた。
夏になると、父がアブラゼミを採ってくれた。
団地は丘を崩して建てられていたので、
買い物に行くには、ふもとまで下らなくてはならない。
ふもとのスーパーまで、
母の自転車の荷台に乗せて貰って坂を下りる。
おかっぱの前髪をかきあげる風の感触。
うっとりと目を閉じて鼻から大きく息を吸い込む。

「主婦の店」という、そのまんまの名称のスーパー。
店内に入れば、うぃーんと大きなモーター音。
食品売り場の冷蔵庫の音。
ふと見れば、水槽に沈む青いプラスチック容器に入った豆腐たち。


「お父さん」と呼ぶ声に我に帰る。
ぼんやり昔を思い出していたら、うっかりボールを拾い損ねたらしい。
振り返るとピンクのボールが池の方へ転がってゆく。
済んでのところで垣根に引っかかった。

ボールを拾いながらも、体半分まだ白昼夢の余韻に浸っている。
ふわりと昔母が着ていた緑色のジャージが頭に浮かぶ。

何でそんな事まで、細かく覚えているのだろう。
あなたは不思議に思うかもしれない。

でもそれは生き方の癖のような物である。
無数のイメージがありありと蘇る。
それが時に毎日をぎこちなくし、
生きづらくしているのも、
僕はちゃんとわかっている。

「ねえ、あそこのインコ見にいこうよ」
息子を誘って芝生を横切り小動物園の檻に行く。
セキセイインコが群れている。
「あの水色の子、可愛いね。」
息子が指指す。
白い胸の羽毛をいっぱい膨らまし、
鼻先を翼へ突っ込んで昼寝中。
確かに可愛い。

「あ、あそこ見て!」と息子。
二つ隣の檻にインドクジャクのつがい。
オスが鮮やかな羽根を屏風のように広げてメスにアピール中。
本人は得意げだが、メスは足下に落ちた細かい餌に夢中の様子。
羽根を広げたまま、オスはメスについて行く。
ボーっと眺める僕と息子。
そこへ、若いカップルがやって来る。
「あ、見て見て!」
ラクダ色のウールコートの彼女が彼氏に言う。
「なんだか浮かばれない感じだね」
黒いコートの彼が手すりにもたれた。

クジャクのメスが、ふとエサをついばむのをやめて顔を上げた。
目の前にはオスの羽根。
何を思ったか、メスは眼前のオスの羽根を咥えて引っこ抜こうとした。
動揺するオス。
そして広げた羽根は、力なく静かに閉じられてゆく。
「ああ、しぼんじゃったね」
と彼女。
「萎えちゃったのかな」
と彼。

しばし沈黙。


「あそこにいる猿に、喧嘩売ってこよ」
と息子。
またもや我に帰る僕。
息子と二人、ニホンザルに喧嘩を売る。
若そうなオスを探し、
息子と一緒にじっと彼を睨み、
それから歯を見せる。







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うっかり寺内貫太郎一家にはまる

年明けからBSで伝説のホームドラマ「寺内貫太郎一家」がやっている。
うっかり観たらハマってしまい、毎晩楽しみにしている始末。
1974年だから40年以上前のドラマ。
脚本はあの向田邦子
主演は小林亜星
西城秀樹や浅田美代子が若いのなんのって。
毎回屋根の上でデュエットするんだけど、
その雰囲気がなんか素敵なんだよね。

たまに深いセリフが出てきて、ぐっとくるのもいい。
ベースは古い時代のコメディなんだけど、
奥にはちゃんと芯が通っている。
全然綺麗じゃないし、
おしゃれでもないけれど、
今の時代では、どんなに悪ぶれても嘘くさくなるような、人間臭い魅力がある。
なんでかなあと、見るたびに思う。

じゅりぃ!




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時はいつの日にも

後味の悪い夢に目を覚ます。
昨夜リビングのソファで猫の腹を撫でながら、
炭酸水で薄めた焼酎を、
あり合せの肴でがぶ飲みしたせいだろう。

寝室の曇ったガラスを寝巻きの袖で拭ったら、
冬の夜明け前の藍色に雪景色がぼんやりと浮かんでいた。
もう一度寝床に戻り、
布団を鼻の辺りまで引っ張り上げる。
そして、さっき見た夢の風景を、
ゆっくりと反芻してみる。




身に起きた悲劇に対し、
それが本人にとって理不尽であればあるほどに、
人は、そんなもの無いと分かっていても、
必死で理由を探そうとするものだ。

そんな時に探しているのは、
大抵自分を納得させる何かに過ぎない。

もしも、この惨めで孤独な旅を諦めきれず、
何年もしつこく想い続けたなら、
最後にそれは、
もしかしたら、
ちっぽけな物語くらいには、
なれるかもしれない。



時はいつの日にも
親切な友だち
過ぎて行くきのうを
物語に変える


天井を眺めながら、
頭の中で口ずさむ。

古い歌の歌詞
荒井由実の「12月の雨」
1974年発売のシングル












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涙のキッス

普段は別にそうじゃないけど、
ある時ふと、たまらなくサザンが聴きたくなる。
そんな人、ある年齢層に於いては、
そこそこの割合でいることと思う。
こう言う僕も、実はそっちの部類だ。

僕の住む地方はそうでもないが、
たまに見るニュースによれば、
ここ数日、例年にない積雪がある地域がたくさんあるらしい。
もっとも「例年にない」なんて言葉の、それ自体の特殊性すら、枕詞くらいにしか感じられない程に、(枕詞はピロートークの和訳ではありません)ここ10年、あるいは20年の気候は、例年という言葉を置き去りにして、ある処へとジリジリと向かっているらしい。

そんな土曜の昼下がりに
どうしてサザンが聴きたくなったのか、
僕自身にもわからない。
大抵こういった類の感覚は、
特別な理由もなく、
突然に、さもそれが公然の事実であるかのように、
目前に現れるものだ。

昼下がり、
ソファで横になり、
イヤフォンを耳に突っ込む。

アルバム名は
World Hits!? of Southern All Stars
演奏は
関口和之&砂山オールスターズ

サザンであって、サザンでない?
僕は昔から、このカバーアルバムが好きだ。
リリースは2001年。

この6曲目に収録されている、
「涙のキッス」のボサノヴァバージョンが、
当時も今も、僕のお気に入りだ。
キーの3番目の音をフラットさせて歌っている。
これが気持ちいい。エグいブルーノート。
うっとりとリビングの白い天井を眺める。
そして世界は、
ゆっくりと僕を包み込みだした。



SONYがWALKMANを生み出した事に、
僕たちは心から感謝しなくてはいけない。
耳に入れたスピーカーで音楽を聴くという行為によって、
人は目の前の味気ない風景を、
一瞬のうちに何か別なものへと変換する手段を手に入れたのだから。

親密な距離で鼓膜を優しく揺らす音の波によって、
僕の脆い境界線に薄い膜が生まれ、
望むなら、
失いかけた自分がまだ此処にあるのだと、
確認する事だってできる。

青年期の僕は、周りの刺激に対して今よりもずっと脆かった。
まるで全身の皮が薄く擦り剥けてしまったかのように、
ちょっとした風に、跳び上がるくらい痛がった。
それに対し僕は、
自意識過剰になりながら、
そうなりがちな自己を抱えた若者が大抵そうであるように、
自身が周りの世界で自然に振る舞えるように、
自分の危うい感受性のアンテナを、
まるでそれが最高機密であるかのように、
細心の注意をはらいながら世間から巧妙に隠し、
外からの刺激によって傷だらけになっているのに、
あたかもそれを気にしていないように取り繕う事にばかりに夢中になっていた。

運悪く生まれつき、
敏感すぎるアンテナを持ってしまった人にとって、
ある意味に於いて、
音楽は救いになり得ると信じている。

ちなみにその頃の僕は、
毎日貪るように音楽を聴いていた。
たまたまそれはクラシックでり、古いジャズであり、
そしてボサノヴァだった。
暗闇の天井を眺め、スピーカーの傍に寝っ転がる。


音楽は奇跡だ。
そこに音楽が鳴っている事で、
空気の色が変わる。
見える景色が、
在るもの自体はそのままなんだけど、
全く別の風景に変わってしまう。

匂いのある音が好きだ。
空気を感じさせる音楽が好きだ。
息や体温で丁寧に温めた音の鳴る空間には、
匂いや、色がある。

真冬の低い太陽が、リビングの床にぽかぽかと照りつける。くっきりした影から湯気が立ち上る。

何となくわかり始めた。
過去の事。
記憶の整理。
別にそれをしたから、何か外的に変わるものではない。
だけど、今やトラウマみたいになっている過去の風景に、危うい感性によって自らかけてしまった呪いのような縛りを、ふわりと解きほぐせたなら、多分数ミリ程度だろうけど、僕の心は軽くなり、
今より少しは楽に生きられるようになるかもしれない。いや、なれないかもしれない。





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ちんたら運動

正月は休んでましたが、
昨日から、また走っています。
運動することが好きなわけではなくて、(生まれて此の方、運動が好きだったためしなどありません)
音楽を聴きながら、走るという行為がただ単に楽しいだけなのだと思います。別にペース配分とか、フォームだとか、ましてやタイムなんて、実はどーだってよくって、好きなsoul musicをランダム再生しながら、プレイヤーは次にどのナンバーを選ぶかに、僕は専ら夢中です。他にもそんな人、探せばいるかもしれないけれど、
かなりなマイノリティだと思います。

「お、でましたっ!バリーホワイト!テンション上がるわあ」
とか、
「ここでノーランズかよ!」
とか、
「やっぱグロリアゲイナー最高だよね!」
だとか思いながら、その選曲の偶然に勝手に興奮しながら、
ついでのように、ちんたら走り、
たまに夜空の星を見ている。



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あけました

新年といえば、
ウィーフィルのニューイヤーコンサート。
今年はムーティが指揮していた。

ヨハンシュトラウスって、
本人の意思とは別にして、
結果、創作の実を残せて幸せでしたねと、
ニューイヤーコンサートを見る度に思う。
勿論、幸せなんてものは、
生きている個人の、
受け取ったあり方が、100パーですから、
結局は、まわりの人たちの、勝手なお仕着せにすぎないのだけど、
こうして死後100年以上経った誰かの楽譜をネタにして、
それぞれの幸せなひと時を過ごせる事は、
まあハッピーなことなんでしょうね。
僕?
僕は、最近特に興味はありません。
小学校から中学にかけては大好きでした。
カラヤン、クライバー
格好の現実逃避。
グローバル化の功罪は、
個人個人のエキゾチズムを壊滅させたことだと、
僕は思うのですが、
遠いオーストリア、
ウィーンの金ピカの楽友協会の
あの花畑のようなステージの幻想ですら、
魔法が解けた後みたいな、
なんとも言えない味気なさがあります。
ムーティが指揮しても、
ドュダメルが指揮しても、
たとえウィーンフィルがどんなに気合い入れても、
この虚しさは、どうしようもない。
この世界が悪いのか、
それとも、僕そのものが悪いのか。

その類の問いの答えは、
いつも決まってこうなっている。

「どっちもだよ」

文化というのは、
メディアを創造する側にばかりに、その主導権があるわけではないと、実感を持って感じている。
つまり、長い目で見たら、
受け手の在り方、育ち方が、
良質な文化を生み出しもするし、
トラッシュ缶に放り込む事だってするかもしれず。

歌舞伎や文楽なんて、
本当の価値を分からない人しかいなくなったら、
即刻滅びる文化だと思うし、
誰も対して素晴らしいなんて言わないような事を、
心から愛する人が、いつの時代にもいるけれど、
その人をピックアップできるような、
阿弥陀の手の指の間にある膜のようなものを、
ちゃんと持って生きている人が、
今日も明日も、
ふらふらになりながら、
なんとか生きている事こそが、
僕らの明日や、明後日を
支えているのだぞ。

だから、
僕は、ふらふらのまま、
ここに宣言するのだけど、

僕は今年も、
たとえ誰からも「いいね」という馴れ初めの賞賛が得られなくとも、
自分のこの繊細すぎる、
不器用極まりない感性のアンテナが傍受した情報を、
なるべく丁寧に、
綺麗にトリミングをしながら、

誰が見るともわからない、
この電脳空間に、
公衆トイレの落書き宜しく、
書きなぐっていこうと思います。

僕は、僕の感じた事を、
僕が生きた証として、
この空間に、
数メガバイトの容量で落書きする。
誰か見てるのかなあ。

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紅白にエレカシが

僕は、
いや、
僕だけじゃなくて、
もしかしたら、この世界中の何割かの人たちも、
同様に思って生きているかもしれないけれども

この不自由さを、
わかってほしい気持ちは、
手にした杯からこぼれ落ちんばかり
けれど、
これは、かなりな難事業。

わかってほしい気持ちを、
例えば畳に背中を擦り付けながら、
キンチョールくらったゴキブリ宜しくのたうち回ったとて、
そのうちの3%すらも伝わらない。

命すらかけてやるくらいの鼻息でやったところ、
本人はそれですっきりしたかもしれないが、
本質としては、
全く何も残らないというのが哀しいところ。

若いというのは、宿命的にそういった側面を持っている。僕もやったことがある。結果は散々だった。
その時点で妙な高揚感は
確かにある。
あるのは確かだが残念。
あとには汗のシミひとつ残らない。

ワイト島のロックフェスの映画。
あの最後のシーンの虚しいこと。
まさに廃墟の街。

久しぶりに紅白歌合戦を見た。
僕の大好きなエレファントカシマシが出演するから。
あの宮本さんがNHKのあの舞台で、
どんな事をするのか。
僕は観たかった。

僕の個人的な話だけれど、
エレファントカシマシの中で一番よく聴いたアルバムは「生活」
でも残念ながら、
凄くいい作品なんだけど、
みんなが喜んで聴くような歌ではないのかもしれなくて、
宮本さんは太宰治や永井荷風だとかの文豪の気風を、こよなく愛しているのだけれども、
それは現代社会のポピュラリティとは、まず違う。
僕は好きだけれども。
だから、それはそれとして
でも、そんな細かい事は知りたい人は知ればいいから、
美味しいエキスを、沢山の人に届けたい。
そんな温かい気持ちを、
10年前くらいのエレカシから今に至るまで感じるのです。
毎回お決まりのように、司会者からぞんざいな扱いを受けても、
一旦歌を聴いたら、もう誰も何も言えない。
一瞬一瞬、伝えたい物を丁寧に届けてくれる。
こんなに親切な音楽集団はいないんじゃないかとすら思う。
宮本さんは年を重ねるごとに、
ピュアになってゆく。
あの純粋さの、本当の粋を、
紅白の画面から感じた人は、
何処かにきっといると思う。
そう信じたい気持ちになる年の瀬でした。

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