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2017年7月

Let's Get Lost

CHET BAKERの1956年の名盤
ChetBaker Sings&Playsを聴きながら、
いつしか日付をまたごうとしています。

このCDを手に入れたのは1995年だから、
もう20年以上の付き合いですね。

こんな歳になると、同じ1日でも
二十歳前後とは比べ物にならないくらいに味気ない。
それはごくごく自然なこと。

もし青年期の感性のままこの年齢まで突き進むことができたとしたら、
あるのは、ただの身の破滅じゃないだろうか。
このCDを聴くたびに思います。

本人の意図とは別として、
永遠の若者であり続けるということは、
一人の人間には、あまりに負荷が高すぎる。

ChetBakerがまさにそう。
子供のような繊細さを一生持たなければならないという運命を、
彼は何らかの理由によって自ら背負うことになったのかもしれない。

コカインやヘロインまみれの人生。
よくもまあ、あの年齢まで生きられたといった類の破滅的な生涯。

しかし、
これは奇跡と呼んでも良いかしれない事実なのだけど,
そんなボロボロながらも、
勿論多少のばらつきはあるとはいえ、
彼の独特な感性や天性の閃き、
それから、あの繊細な肌触りの歌声までもが、
生涯維持されたのは、
何とも感動的な事としか言いようがない。
人生は、もしかしたら幸せではなかったかもしれない。
でも、彼から生まれた音楽は、常に死ぬまで、最高のクオリティで流れ続けていたのかもしれない。

幸せだったかどうかは別として、
残った作品は、至高の美しさだという、
しかもそれは、本人がそうなってやろうと意図したわけでなく、
結果的にそうなってしまったという事。

1956年録音
今から60年前の音だけど

あの青年期の訳もなく気だるく眠たい空気をいっぱいに含んだまま、今夜も青白く輝いている。

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わかりますか?

頑張らない。
無理をしない。
言うは易しで、現実はかなり難しい。

自分の事は、
自身が一番わかる筈だという思い込みは、
いつしか、もろくも崩れ去り、
ストレスの負荷を自身で把握できなくなっているのが現状です。

以前は何の苦もなく耐えられた事が、
もう、自分の頑張りでは、
どうにもできなくなりつつある。

心のコップには、
いつもなみなみと水が注がれていて、
少しの負荷で溢れ出てしまう。

一般的に
人混みで過ごす様々な刺激に対し、
人は無意識の内にフィルターをかけており、
自分が壊れないように守っているのだと思いますが、
僕の場合、疲れているせいか、
それが上手くいきません。
こういった類の話は、
人にはなかなか伝わらない。
それがまた、僕を落ち込ませます。

視覚的な刺激
聴覚的な刺激。
それらに対処していく気力が尽きてしまい、
空間全体が重くなる。
歩くために足を持ち上げるのも大変になるのです。

そこまでいくと、それを乗り越えるだけの気力すらない。
多分そこに至る過程で使い切ってしまって、
電池の切れかけた鳩時計みたいになっているのです。
肩はこわばり、頭痛と動悸がしてくる。
顎に力が入られず、
とりあえず目の前の事を処理するので精一杯。


今の僕には、
そんなふうになってしまう前に、
それを見越して対策を施す事が、
生きていくために、
必要なんだと思います。

昔はこんなんじゃなかったんですが、
しょうがないですね。

先日あるCDをネットで買いました。
中古で2千円ちょっと。
MFQ(モダンフォークカルテット)のムーンライトセレナーデという、1980年代のアルバム。
MFQは、ハワイ出身のベテランコーラスグループ。フォーフレッシュメンみたいなジャンルの人たちです。
夏に聴くには最高なアルバム。
この音との出会いは、もう二十年以上前のこと。
中学時代に手に入れた、ポリドールのリゾートサウンドドリームという、販促用のサンプラーCDに入っていたのです。
当時母が街の小さな楽器店で、CDの仕入れ担当をしていたので、例えばCBSSONYのサンプラーとか、よく持って帰ってきてくれました。
ミルトンナシメントという人を知ったのも、例のリゾートサウンドドリームでしたし、ジョビンのWAVEも、このCDで初めて聴いたのでした。
何年も経って、僕はこのMFQのアルバムを購入することにした。
その点ではポニーキャニオンの戦略は、
見事に達成されたのかもしれません。
まあ20年以上後では、
遅すぎもいいとこですが。

こういった類の音楽は、
何気ない風景をバックに、何気なく聴くのが一番いい。
というのが、僕の経験上何となく学んだ事でしたから、
今回も例のごとく、
真夏の東海道新幹線の車窓の風景を眺めながら、
愛用のSONYのWALKMANで、
付属のノイズキャンセリングイヤホン経由で浴びることにしました。

ルックフォーザシルバーライニングという、ジャズのスタンダードナンバーがあります。
名演かどうかは別として、
チェットベイカーの1950年代の歌で有名な
あの古い歌です。
あれを1985年にMFQが歌っている。

車窓の風景を眺めながら、
それを聴く。

Look for the silver lining
Whenever a cloud appears in the blue
Remember, somewhere the sun is shining
And so the right thing to do is make it shine for you

A heart full of joy and gladness
Will always banish sadness and strife
So always look for the silver lining
And try to find the sunny side of life

A heart full of joy and gladness
Will always banish sadness and strife
So always look for the silver lining
And try to find the sunny side of life

ふと空を見上げたら、
山の間に入道雲。
雲の周りに白い光の筋。

ああ、今はこんな日々だけれど、
ちゃんと前を見て生きて行かないといけない。

そう思ったら、
途端に涙が出てきました。

三列シートの一番窓際でしたから、
顔をそむければ、他には気付かれない。
そっと左を向くしかない。

別に涙を誘うような曲調でも、アレンジでもないんですよ。
でも駄目でした。
やっぱり疲れてるんでしょうね。

新幹線は走り続ける。

何が原因とか、誰が悪いとか、
多分そんな話ではなくて、
僕の人生上の課題なんだと思います。
生きるということは、そういうことなのだと、
僕はそれこそ幼い頃から、
薄々感じていた筈でした。

人一倍感受性の高い人間は、
その感じやすさによって、
どうでもいいような出来事によって自らを傷つけ、
ふらふらになって生きるしかないのです。
繊細さは不器用さを生み出す足かせのようなもの。

でも、僕から感受性を無くしたら
果たして何が残るのかと考えたら、
やはり、これを抱えて
やっていくしかないと思うのです。

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音楽は



好きなときに始めて、
好きなときに終わる。

そんな営みだって、
ちゃんと音楽と呼んでくれるかしら。

向かいにある蜜柑畑の虫の声。
ある意思の下に発せられし音を、
仮に音楽と呼ぶなれば、

鳴声然り、
人の会話然り、
まな板叩く包丁の音然り。

少なくとも音楽は、
幾何学的な枠の中で構築された、壮大な構造体でのみある訳ではない筈。

4歳の娘ちゃんの
たどたどしい唄声が、
何よりの証拠。

僕は、そんな娘ちゃんが、
鼻歌を歌うみたいに、
バイオリンを弾けたら、
もうそれでいいんだ。




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もうやめよう





もう充分じゃないだろうか。
自分で言うのもなんだけど、
ここまで不器用なりに、
よく頑張ってきた。

車のハンドルを握り、
夕空を眺める。

空っぽの頭。
空っぽの心。




オケの練習が
意識はできてないだけで、
実は苦痛だったのかもしれない。
昨日今日の話じゃない。
それこそ学生オケの頃から。

沢山の刺激がいっぺんに入ってきて、
まともに対処できない。

頭は興奮状態
というかパニック。
そんな時も、周りは一時だって待ってなんかくれない。
いつだって音楽は流れ続ける。

フリーズしてしまう。
それは部屋で何度もさらった箇所。
パート譜のその部分、
目では捉えているし、頭の中で音が鳴る。
でも、身体が反応しない。
かと言って、ぼーっとしている暇はない。
列車は走り続けるのだから。

だめだ、弾けない。
また落ちた。
ここは、一小節いくつ振りだ?
ボウイングが前のプルトと違うじゃないか。
ボウイングを写さなきゃ。
えーっと、この部分はどんな指使いだったかな。
え?ここは、そんなに速くなるの?
ロングトーンが木管と、どう考えてもハモってない。
そもそも楽譜上ハモらないのか?
あ、置いてかれた!
今はどこだ?
テンポは?
頭拍が分からない!
次はどこから?練習番号の何番?それはパート譜のどこのこと?
空間が歪んでいく。

弓が弦の上でパニック状態。
周りを気にし過ぎるから、
音を控えめにするために、
次第に浮かせ気味で、歯が浮いたような音しか出せなくなる。
そのままfffでトレモロ刻むから、
右手に力が入り、
弓は変な方にズレてしまう。

物理的にも精神的にも、
自分の音がモニターできない。
一種の浮遊状態。
頭の中で鳴る音と、
周りの音がリンクせず、
体の動きに対して、音のフィードバックが無い。
すると、いつしか自分の身体が空間に実体を留めなくなる。
冷や汗、
次に手の感覚が無くなり

そして固まる。


時計を見る。
あと10分がんばれば、
予定では、練習が終わる。

ひどい頭痛。
周りに気を遣わせないためにも、
笑顔は取繕わねばならない。

最終的には、なんとか隣の人や周りの動きをマネするだけ。

自分が何故ここにいるかすら分からない。

昔から、
多分全体の半分以上、
僕はこんな感じだったのかもしれない。

ただ、音楽が好きだったし、
憧れもあったから、
いつも歯を食いしばって頑張ってきた。
おまけに無理してることに、
本人は全く気付いていなかった。

最近、もういいんじゃないかなと思う。

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