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2017年5月

居心地の悪さ

ああ、
楽しく弾きたい。
楽器を弾く事で心からウキウキしたい。

もちろん、
楽器ケースを開けて、
音を出すだけで既に、
心は浮き立つけれど、

楽器を使って、
日々の生活を、
もっと生き生きできないかなあ。

オケでクラシックばかり弾いてきたけれど、
そもそも、クラシックは、
そんなに好んで聴いちゃいない。
バイオリンって楽器自体は好きだけど。

多感な頃にオケという集団で過ごしたせいで、
これまで、オケで弾くことに、
特に疑いなんて抱かなかったけれど、
そもそも、僕がしたいのは、
それだったかというと、
正直分からない。

僕はただ、
楽器で音楽をしたいだけなんだけど、
特にオケがしたいとか、
古いヨーロッパのシンフォニーなんかを弾きたい訳では、もともとは、そうじゃなかったんじゃないかなあと、

こんな年になって、今更だけど、
ぼんやりと思う今日この頃。

昔から、
たまにオケで感じる、
あの奇妙な感覚。
それは、ちょっぴり嫌な気持ち。
あれは、どんなに基礎練習をしたって、
どんなに演奏技術が向上したって、
多分根本的な解決にはならない。
あの場違いな気分。
胃の底から来るような、
居心地の悪さ。
これは、いくら練習しても、
たとえ上達したとしても、
多分変わらないかな。

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弦の張替え

弦を張り替えた。
といっても、
今はってある弦を外して、その前に張ってた弦に張りなおしただけなんだけど。

ヴィオリーノにオイドクサのE線。

先日のオケの練習で、久しぶりに消音器なしで楽器鳴らしていたら、
何だか共鳴しないから、音程が取りにくくて、
そういやあ、この弦は昨年の夏に張り替えて、久しく替えてないなあと思ったのです。
その弦は、ドミナントなんだけど、
結構劣化が激しくて、
もっと言うと、E線はゴールドブロカットなんだけど、
もう錆び錆びで、
こりゃいかんわと、それに比べて劣化の少ない古い弦と交換しただけの事です。

オイドクサのE線はアルミ巻きだし、錆びたゴールドブロカットよりはましだと考えたわけです。

新しい弦を買ってもいいけど、バイオリンの弦って、ギターみたいに手頃な価格ではありませんから、昔みたいな音色のこだわりもないですし、ま、古いので今よりましならそれでいいのです。

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不器用なサーフィン

夏の演奏会に向けて
日曜はオケの練習日。
何はさておき、
オケという場で、
楽器が弾ければ
ただそれだけで、
とにかく満足。

譜読みのストレスは、
昔も今も同じ。

ただ、昔と違うのは、
周りの音を感じられる程度の、
「いいかげんさ」を持てるようになったこと。

上手に弾こうとか、
いい音を出そうとか、
はたまた無謀にも、
何か表現してやろうとか、

そんな諸々については、
おそらく今はもう、
どうだっていい。

大きな音の流れに
なるべく長く乗っかっていたい。
サーフィンみたいに。
僕が今、オケで弾く事に求めているのは、
波乗りに近い楽しみかもしれない。


サーファーが、よい波をとらえた時みたく、
集団の生み出すリズムや、
曲のハーモニーの流れに乗っかれた時は、
まさに至福の時間。
世界は僕で、僕は世界な気分。

一方、波に上手く乗れずあたふたする時は、
ぽつんと一人、世界から取り残された気分。
ものすごく落ち込む。

若い頃はこの孤独感に、とてもじゃないが耐えられなかった。

精神的にもろく、繊細な人は、
あのタイプの孤独に対して、
過剰な自己主張、
或いは、まわりの世界への執拗な反抗によって対処する。
それを地でやってしまった愚直な若者こそが、
つまりは僕自身だったのだと思う。
なに、これは僕に限った話じゃない。

理由なき反抗

当の本人は、それなりに、
脇目も振らず、一生懸命。
言いかえるなら、
自分に一生懸命頑張っていた。
愚かなダンスに過ぎないにしても。

でも所詮、
孤独を感じようが、
まわりと一体感を感じようが、
一人は結局一人であり、
自分はいずれの場合も、
無くなりはしない。
ただ、それだけの事。

そんなことを言いながら、
僕は今だって
相変わらずに繊細で、
そして傷つきやすく、
他人に安心して心が開けない。
不器用な少年は、
不器用で屈折した大人になった。


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マンハッタン

いつもは土曜は休みだけど、
今日は出勤。
帰ってきて、
昔みたあの映画を、
また観たくなった。

全編は無理だけど、
今は、一部だけならネットで見られる時代。

マンハッタン
1979年 アメリカ映画
監督、主演 ウッディアレン

あのモノクロームの映画
初めて観たのは二十歳の頃。
バイト帰りにレンタルビデオ屋で借りてきて、
真夜中に一人、観た記憶がある。
季節は夏か、それとも秋か。

記憶に残るシーンがある。
それは確か
夜通し歩いた後の早朝、
橋の見えるベンチで、
犬を連れたダイアンキートンと、
ウッディアレンが語るシーン。
恋をすると、人は夜明けまで語り合えます。
朝霧に浮かぶ橋の光景。
バックに流れるガーシュイン
Someone to watch over me
実にぴったりな選曲。
不器用な二人。

こんな忘れられない風景を、
きちんとお膳立てして、
数万人の観客の脳裏に、
ある種のトラウマみたく刻み付けるような、
そんな存在感のある映画って、名作なんだと思います。

それにしても、
コメディアンと呼ばれる人が、
ふとした隙にみせるあの、
寂しさだったり、物哀しさだったり
そういったものに、
ある種の色っぽさを見つけてしまったら、
多分おちちゃいますよね。
ふぉーりんなんとかです。

チャップリンには、それが確実にあった。
街の灯しかり、黄金狂時代しかり。
寅さんやってる渥美清にもあった。
「男はつらいよ」は、笑えるだけのコメディなんかじゃない。
ウッディアレンにだって、
それは確かに、
ある。
笑いと哀愁は、
切っても切れないもの。
本当の笑いは、
悲しみの先にあるものかもしれない。
ラストシーンのあの表情。
あれはチャップリンの街の灯に匹敵するか、あるいはあの作品に対するオマージュなんじゃないか。

喜劇なんかじゃない、人生は、むしろ悲劇だ。
だけど悲劇の中で、どうやって最善を尽くすかって事だ。そんなことを、ウッディアレンは話していたらしい。

ちっぽけな自己が、精一杯はち切れるくらいに膨らむ時、
そこに悲劇というエネルギーが存在する場合もある。
笑いは変化球。だけど、人の気持ちを動かすには、一番有効な手段。
かもしれない?

人生は、基本的には
悲劇なんだと思う人間にとって、
それを伝える有効な手段は、
突き詰めれば結局は、
笑いなんだろうと、
僕は、そう考えるたちの人間です。
だから、そんな類のコメディに、
それがコメディにもかかわらず、
意図せず心地よい涙を流せるのかもしれず。




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くよくよ よくよく

よくよく考える
よくよくよくよく考える
あまりによくよく考え過ぎたから
よくよくがいつか
くよくよになっちゃって
そして
くよくよ考える
くよくよくよくよ考える



昔からそう。
すごく真剣に
僕なりに、
ちゃんと言葉を選んで、
誰かに対し、
何か大切な事を
噛み砕いて伝えようとすればするほど、
相手は
眠そうな目をする。
「あ、今、もしかして眠い?」
とたずねると、大抵
「うん、ごめん。すごく」
と申し訳なさそうな目をして言われる。
僕が真剣に何かを伝えようとすればするほど、
残念ながら、
この現象は頻発する傾向にあるらしい。

そんな時は決まって、
軽い幻滅と、ほろ苦い孤独とを感じながら、
ばつの悪い苦笑いとともに話をやめることになる。

伝わらない話をしても意味はないけど、
そもそも伝えようと思って話していたのにね。



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やり過ぎ病のささやかな望み

連休中にギターを、あまりにやり過ぎたせいで、
左手の指が腱鞘炎になりそうになり、
とりあえず今ギターはお休み。
バイオリンのみ弾いています。

最近、やり過ぎ病ってのは、ある技能を身につける時、稀に効果的に働く場合がありますが、やり過ぎ病の当の本人は、行為そのものが目的化しているので、ある種の中毒に近い物だと考えるようになりまして、
つまり寝食忘れてのめり込んでいては、脳は喜んでも、いつか身体が壊れてしまう訳ですから、
もし、のめり込みのコントロールが不能になる予感がしたり、実際身体が危険信号を発した時は、意識的にその事象から離れる事を気をつけようと思います。
腱鞘炎になっちゃ元も子もない。
やり過ぎは毒です。

バイオリンに関しては、夏の演奏会の曲の譜読みが一通り終了。
といっても、楽譜にある最低限の情報のうち、さらに必要最低限の物を音にできるようになったに過ぎないのですが。

一通り楽譜は見たので、月終わりにある合奏練習に参加しよかな。
途中山梨でオケの演奏会に参加した事を除いて、
ここ数年、ひたすら部屋に籠って基礎練ばかりでしたから、
だからまた、自分と同じように楽器が好きな、いろんな人たちの音の中に身を置いてみたいんです。
曲なんて、何だっていいから、
集団の中で、音が出したい。





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結局モーツァルトが、一番難しい

夏の演奏会に向けた、
オケのパート譜の譜読みは、
マーラー、リヒャルトを過ぎ、
ついにモーツァルトへ。
モーツァルトのファゴット協奏曲。
そのバイオリンパートの譜読みです。
八分音符をどんな弓使いにするかとか、
スタッカートの長さやら、四分音符の減衰の具合など、
細かいことは当然パート譜には書いてなくて、
かといって、モーツァルト時代のウィーンじゃ、敢えて書くまでもなかったであろう、それらの慣習を、
21世紀の日本では、確かなことなど分かるはずもなく、
ああでもない、こうでもないと、
闇雲にいろいろ試したり、そこに理論的裏付けを探したりするような、多分見当違いであろうそれらの苦労を、無意味に繰り返すことになります。




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おげんさんショック

先日のおげんさんショックにより、
Amazon経由でアルバムまで買ってしまい、
YELLOW DANCERを通勤中に聴き、
二曲目のWEEK ENDのEARTH WIND AND FIREっぷりにのけぞって、三曲目SUNのJackson5っぷりに鳥肌が立ち、その他ジャケットも含めたYMOっぽさやら、細野晴臣のHOSONO HOUCEみたいなのとか、あとティンパンアレイっぽい曲とか、はっぴいえんどっぽいのもあって、本当に楽しい時間が過ごせました。
いい音楽というのは、目の前の世界をガラッと変える力がある。
薄灰色に曇った街を、一気にクリアーな色に変えたり、
見慣れた風景に、フィルターをかけて、いつもと違った色合いを持たせる事だってできる。
おかげで何気ない通勤の農道風景も、新鮮な気持ちで通り過ぎることができました。


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きみの声を聞かせて

あー、だめだあ。
おげんさんにヤラれてしまったあ。

先週妻が、テレビ番組を予約してって言うもんだから、
録画したんだけど、
「おげんさんといっしょ」
NHK。
星野源さん。

この人の裏には、
こと音楽に関していえば、
日本のポップスの王道があって、
いろんな人の期待が、
この人に一心に集まってくるけど、
本人は器用に太刀打ちまわり

今、この時代として
これがメインストリームなのかどうか、
それはわかんないけど。


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EBTG

春の雨?
いや、初夏の雨。

今夜はワイパーを揺らしながら、
EVERYTHING BUT THE GIRLの
AMPLIFIED HEARTを聴いて帰る。

僕は、このアルバムが大好きで、
昔からよく聴いている。
1994年の作品。

最高に憂鬱な歌詞に、
最高に上質な肌触りのサウンド。

特筆すべきは、2曲目の浮遊感。
完璧に別世界に連れて行ってしまう。
Troubled Mind

ぐちゃぐちゃな頭のまま、話しているあなた
それは、まるで部屋の中を貨物列車が通過してるみたい。

こんな歌詞を、あんなにも美しい音にのせて歌うなんて、かなりヤバい。
それこそが、恐らくこのグループの魅力なのかもしれず。

そのサウンドは、

あてもなく、
深夜信号が点滅する街を、
一人彷徨う、
あの夏の夜を彷彿とさせ、

その歌詞は、
人類がその長い歴史に於いて懲りずに繰り返してきた、恋愛という名の幸福な勘違いから派生する、
あの宿命的な痛さを、
巧妙な例えというか、風景描写を交えて表現している。

まだ、ポピュラーミュージックに実験的要素が認められていた時代の、まるで小さな宝石みたいな一枚。

このアルバムを聴いていつも思うのは、
腐る直前が、
最高に旨いんだという、
ある種の都市伝説。

でも、ある意味に於いてだけど、
物事の本当の味わいは
上手くいっているときではなくて、
そこから、下降線に向かう処にこそ、あるのではないか

そんな、腐りかけを愛でる中年。
今夜も、うっかり焼酎を飲み過ぎて、
ペロンペロンのまま、
日記の更新です。

ブログなんて、
所詮、あてのない手紙。

誰が読んでいるとも知らず、
まるで、手紙を小瓶に詰めて、
大洋に放り投げるような営み。







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ギター、多様性による救い

デスクにお菓子があると、
つい食べてしまうように

リビングにギターがあれば、
ついポロポロ弾きたくなる。

このブログを初めて間もない頃に買った、
ヤマハサイレントギター。
最初に覚えたコードは、
DM7(9)っていう、
かなり無茶苦茶な入口でした。(ボサノバが弾きたかったんです)
その頃の僕のギターの独習本は、
中村善郎の、そのままなズバリ
「ボサノバギターが弾ける本」リットーミュージック 2005
でしたが、
この本のすごいのは、5弦ルートと6弦ルートのセブンス、マイナーセブンス、メジャーセブンスを、バレーコードみたいな形で覚えちゃって、あとは自由にやりたい放題ができるところ。
必ずといっていいくらいに、テンションがくっついているけれど、ジャカジャカ全ての弦を弾くわけじゃないし、そんな訳で左手のミュートとか考えなくても、とりあえずはいけるので、
お手軽な方法論だと思うし、ギターの王道的な学び方とはかなり違うけれど、この本でギターを初めて正解だったと、勝手に思っている。
結局この本は、リズムのバリエーションあたりで飽きてしまい、本棚にしまわれていましたが、
十年経った今、本棚から引っ張り出して、その続きを始められるのは、実に幸せな気分です。
あくまで、そこにギターがあったからに過ぎない事。
特に何かを身につけようとする意志は無く、
ただ、ギターがあるから弾いている。
そんな距離感が、今本当に心地よいのです。
バイオリンとは、ちょっと違った距離感。
これもまたいい。

気分転換には、頭の中に占有している、
例えば仕事の事だとか、諸々の現実と全く違う事をやるのが一番いい。
僕の場合だけれど、楽器は、そんな小さなヴァカンスを与えてくれるツールだと思う。

あと最近有効だなと思うのは、
英語を延々と聞いたり読んだりする事。
別に英語である必要はなくて、
ポルトガル語でも、スワヒリ語でもアラブ語でもいい。
別言語には、その中に彼らがその民族内で培ってきた、物事の捉え方のモデルだとか、民族特有のリズム感でもったり、あと文法上の違いからくる、ある種アイデンティティのレベルでの違いみたいなもの。
それを感じ取る事ができる。
これは僕の心には、ある種の癒しに近い効果をもたらす。
世の中の多様性は、今見ている現実を、
違った面から捉え直すための必然的な要因。
今、自分の周りにある現実が全てではなくて、
他もあるのだって知ることは、
閉塞して、沈み込んでしまう自己を
もう一度奮い立たせる頓服のようなもの。



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パガニーニはギターに浮気をしたらしいが

リビングの模様替えをしたどさくさに、
独身の頃買ったヤマハのサイレントガットギターを、
ギタースタンドごと窓際に設置。
楽器というものは、目に見えるところに、
いつでも弾ける状態でさらされると、
目にするたびに手にとって弾きたくなるのが人の本能なのか、
この連休は、ギターを触り倒しています。
The Beatlesのオブラディオブラダは
コードもあまり複雑じゃないようで、
ポールの音域は僕には高いからオクターブ下げて歌っていたら、小二の息子が食いついてきた。
ロックやポップスは、やはり人を惹きつける力が強い。
ギターという楽器は、コミュニケーションに於いて有効だとこの数年で学んだ。

実は昨年まで2年間、
ブラジルにルーツのある子どもたちが沢山いる日本の学校で仕事をした。
ギター(ヴィオロン)を弾けるというのは、彼らにとって何だか特別な事らしく、
ギターがあるだけで、人が集まり、親密な時間が生まれた。
バイオリンでそれは難しいけど、ギターのカジュアルな立ち位置は、やっぱり魅力だと思う。
だから、別に上手くならなくたっていいから、
ギターを声をアシストする道具として使いたいなあと思っている。
ギターを上手く使えば、音楽という裏道を使って、遠い誰かと、ある一瞬であったとしても、
直接的な意味以外でも、
肌触れ合う時間を過ごす事ができる可能性が、
そこに開けるのだから。


そんな訳で、
さっきも書いたけど、
この連休、
僕はギターをちんたら弾いている。

やり過ぎの害で、
左手の指はタコができている。




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新緑と失恋ソング、ナットキングコールにウディアレン



新緑の中、車を走らせる。
走っているのは高原ではなく、近所の公園脇の環状道路。
観光ではない。
定期受診。

こんなに爽やかな季節だというのに、
BGMは、キングコールトリオ。
いや、別段ナットキングコールの歌声が爽やかじゃないなんて、思わないのだけれど、(彼はヘビースモーカーだった)
カーステレオには、ケニーランキンだって、山下達郎だって入ってるのに、
僕のセレクトは、ナットキングコールトリオだったというのは、
おかしいといえる程ではないにしろ、少しばかりの違和感があってよいとも言える。
とにかく、キングコールトリオが聴きたかった。その時は。

僕は昔から、このアルバムでキングコールが歌う
I'm Through with Love
が好きだ。
1929年の流行歌。
ありふれた失恋ソングなんて、一言で言うはたやすいが、
僕は数ある失恋ソングの中でも、
この曲はピカイチだと勝手に思っている。

マリリンモンローの歌が有名らしいけど
やっぱりナットキングコール。僕の場合の話。

この曲を知ったのは、実は映画。
ウディアレンの1996年作
「世界中がアイラブユー」ってミュージカル映画。
「ララランド」の20年前の話。

例の曲は、ゴールディホーンが夜のセーヌ川で歌う。
あのシーンのウディアレンの背中は、黄金狂時代のチャップリンに近い哀愁があって、ああ、僕もいつかこんな大人になりたいなんて、憧れたりもしたものです。
いいシーンですよ。
ウディアレンは、BGMの使い方がたまらない。
「マンハッタン」のsomeone to watch over meなんて、本当にいい。あのシーンだけ何度でも観たい。

そんなウディアレンに憧れる自分も四十代になり、あの眼鏡をしたくなりました。
最近はウエリントンタイプやボストンタイプのフレームが流行りらしいですし、あのウディアレンの眼鏡みたいなの、
かけてみたいなあ。
似合うやつ、探そうかなあ。


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新緑の






五月のこの季節が好きだ。
おそらく
大型連休があるからでもなく、
自分の誕生日があるからでもなく、
(どっちも嬉しいイベントではあるけれど)
春に目覚めた生き物たちが、
この時期になると、
陽の光をいっぱい浴びて、
生き生きと輝き出すように感じる。
真夏のような野性の荒々しさは、
路の草木や地を這う虫にも、まだ希薄で
爽やかな風に、新緑が眩しく揺れる様は、
見ていて心が透き通る気がする。

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