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集団意識の大きな渦

人間が集団になれば、
個人でやってた行動と、
違ったやり方をするものだけれども、
その自体を御する事に、人は太古の昔から、憧れを持っているのだろうか。
集団意識とは、いわば制御不能の巨大な龍のようなもの。
それを、どうにかしてやろうと目論むは、罪深き人の幻想なのかもしれない。
神の領域として、人が関わるのを忌み嫌った時代も過去にはあったろう。
けど今は、むしろ積極的に集団意識を動かしたい欲望に、どっぷりと浸かっている。
巧妙に仕組まれた、仕組みに気付く人は、当然ながらあまりいない。
まあ、仮に気付いてみたところで、世の中はそんなにも変わりはない。

如何にしたたかに生きるか。
そのしたたかさを、
さながら小さなロウソクの火のように、心の奥底に灯し続ける事が、知らず知らず、
その人を魅力的にするかもしれない。
見える事。
隠れた物。

秘すれば花なり。

心から湧き出たものを
昇華し表現することが、
まるっきり意図通りでないにしろ、
集団へと伝播し
場の空気自体を
根底から変化させる事がある。
それは、薄暗い部屋に差し込む陽光の、
その放射状の波のような、イメージを連想させる出来事。
それに何か大きな存在を感じる人もいる一方、
自分自身が、大きな存在なのではないだろうかと錯覚する人もいる。
そんな訳で、いずれにしろ人は、集団を形成した瞬間に、少なくとも二つの自分を抱え持つ事になるとは言える。そして、これはある種の悲劇ではあるのだろう。この二つの自己を意のままに御するのは、幻想である。幻想は、幻想のままであるが、それを追い求めるのが、人間が所詮人間以上でも以下でもないという、何よりもの証拠なのではないかと感じる。


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