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長文雑感

お前の話なんて、どうだっていい。
まわりが、あんたに期待するような事だけ言ってりゃいいんだよ。

つまり、それこそが場の空気を読めという事の意味らしい。
どうやら社会的信用に値する人格というのは、そういう存在らしく、だから最近はみんな、やたらと人当たりいいのかと思う。

僕だって、たまに腹が立つ事もある。
そんな時は昔から、決まって口調が皮肉っぽくなる。
自分が原因でないにしろ、聞かされる側は、けして気分がいいものではない。
ある時、僕は気付いた。
腹を立てても、他人に向けてその気持ちを発散する事は、相手を不機嫌にさせるばかりで、結局は余計に嫌な想いをするだけだって。
だから、僕はあまり人に対し、メンタルな面で頼る事を避けているようだ。不機嫌な感情は、当事者に対しても、当事者でない親しい他人に対して直接はぶつけない。だけど、余りに大きなストレスは、消え残って積もり積もって、ささやかな皮肉を生むのには変わりない。
ライフスタイルというのは、オギャアと生まれてから、様々な葛藤を経て、それぞれの人が一生かけて作り上げるもの。
だから僕の場合のそれは、
つまりはそういう事なんだと思う。
まわりくどい確認かもしれないけど、
あなたと違ってても、ぜひ怒らないでいてほしい。

最近、何で英語って、
Iとか、meとか、myだとか、
しつこく会話や文章で使うのかという個人的な疑問に対して、ささやかな気づきがあった。
あれを、日本人の僕らが、英語圏の文化に対して感じる、あの自己を主張する感じかもしれないし、
過去に伊丹十三がサローヤンの「パパユーアークレイジー」って本を、彼、彼女、私、をすべて逐語訳したけれども、(あれはあれで読みづらかった)
何で、いちいちI think that...なのかってのは、
つまりは、「あんたは、こう思っている」ってのは、存在として否定せず、受け入れて「オレは」なんだって事なんだと思った。
だから、I think that..のIは、他人のライフスタイルの受容を含んでいる訳なんで、上手く伝わるようには書けないけれど、誰からの発信であるかとか、誰の所有するものだとかいった情報を、言語のシステム上に、ちゃんと入れ込むのは、自分の存在の意味を、社会の中で獲得する手段である一方で、自分以外の人の存在や、自分自身の存在を守るためのツールでもあるわけなのです。

僕はこう考えた、
あなたは、こう考えている。
それは、まず受け入れて、
そこから話し合いが始まる。

それを、本当は学ぶべきでないの?
ちにみに僕の通っていた高校は、
当時で言ういわゆる進学校だったから、
数字が全て。
テストの順位で放課の過ごし方も変わる。
今考えれば、確かにクレイジーでしたね。

さておき、
最近、小沢健二が新しい曲を商品にしていました。
小沢健二の懐かしい曲の中に、
「あてのない手紙を書き続ける彼女」
って歌詞があって、
昔から、そのフレーズが好きなんだけど、僕のこの文章だって、つまりはそうなんだと思う。

え?何?って感じたあなた!

そのままでいいんですよ。
あるがままでいてくださいね。お互いに。

その昔、ベートーヴェンは、彼の創作した楽曲が演奏上無理があると不満を漏らした奏者に対して、
「別にいんじゃね?オレ今じゃなくて、何十年も先のために書いてっからさ。」なんて、クールなセリフを遺したと言われてる。
今日が終われば、明日がやってくる。
それだけのこと。



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