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小児センターでピアノを聴く



とある小児病院。
入院中の娘の病室を離れ、
渡り廊下にある椅子にもたれる。
この病院、三階まで吹き抜けがあって、
僕は二階のところにあった椅子で、
いろいろあって、
一人ぼおっとしている。
吹き抜けの先に、大きな窓ガラス。
季節柄、たくさんの鯉のぼりが泳いでいる。
ここは、県下でもかなり大きな小児病院で、
何かの事情で大変な状況になってしまった子供達も、
当然ながらたくさん入院している。
世の中には、いろんな事情で
いろんな課題を抱えた子供達がいる訳で、
病院というのは、そんな子供達と家族とが、
訳も分からないままに、漠然とした不安を抱えながら時を過ごしている。
この状況は、一時的なものか、あるいは今後の生活、下手したら一生物の変化になるやもしれない変化に怯えながら、医師の説明を待つ家族。
当事者である子どももそうですが、
その家族も、一時の緊張感が抜けた隙間に、
言い表せないような孤独と、抱えられそうにない不安を感じるに違いない。
今だけでなく、これから一生
それを抱えなくてはならない事に、
どれだけ覚悟を決めてみたところで、
やはり、人は人であり、
神は人に都合良くは動かない訳です。

僕は、その時、
ただ、何も考えることもできず、
椅子に腰掛けて、
遠くを見つめていた。
眼下のロビーは、土曜日だというのに、
沢山の患者が受付を待っている。

楽譜を抱えた女性が一人、
ロビーにあるグランドピアノに向かって歩いてゆく。
それは、あまりに自然過ぎて、
注意して見なければ、
来院した患者の家族の一人かと思うような、そんな姿。
椅子に腰掛け、
ピアノの蓋を開けて、
鍵盤のカバーを傍によける。

誰も彼女の姿に気を止めない。
彼女は、ただ、そこに来て、
ピアノの蓋を開けた。

それから、ほんの少しの間があって、
ピアノから、童謡のメロディが、流れ出した。
「くつがなる」だったっけ。
淡々と、しかし、心を込めて。
流れる音は吹き抜けに向けて舞い上がり、空間を控えめに震わせた。

僕のいる階で、さっきからつまんなそうに座っていた子供が、さあっと歩いて見にくる。
ロビーで待っていたお母さんが、一歳くらいの子どもを抱っこして、ピアノの前にやってくる。
繰り返しになるけれど、
ここには、いろいろな事情で、
不意にいろいろな事を抱えざるを得なくなった、沢山の人がいる。そんな場所だ。
救急車だって、ひっきりなしにやってくる。
さっきだって、輸血の血液を、車が届けに来ていた。
そんな空間に、
そのピアノの音色は、
ただただ、
空気を震わせている。
曲が終わっても、拍手はない。
演奏者も挨拶はしない。

本当に、癒しが必要な人というのが、
この世の中にはいる。
どうしたらよいか、全く分からない。
そんな心を癒すのは、
多分、
優しい励ましでも、精一杯気を使った贈り物でもなく、
こんな何気ない、音楽なのかもしれない。
東日本大地震の後、
沢山の音楽家が、
かの地を訪れ、
人々に音楽を奏でた。
それは大抵、
遠い昔の、遠い国の誰かが作った音楽だけれども、
それを奏でる事で、沢山の人が、
気持ちの休まる、僅かな時間を得ることができた。
音楽というのは、そんな場でこそ、本当の力を発揮するものかもしれない。
何か特別なメッセージなんて、必要ないし、大抵が的外れだ。
ただ、あるがまま、奏でられる音楽というのを、
ある事情を持った人の心というのは、
待っている。
それは、音楽の本当の力であると思う。
僕は、目を閉じて、
その音に身を委ねる。
目の前を、首から聴診器をかけた医師やら、看護師やらが通り過ぎる。
曲が終わっても、拍手はない。
でも、これこそが、
音楽じゃないか?
そう思った。

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