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ヴィレッジヴァンガードの日曜日へ

未だによく見る夢、
一つは、この場で今まで散々言ってますが、
大学の授業の単位を落とすか、落としそうで右往左往する夢。

もう一つは、オケの演奏会直前であたふたする夢。

先日は、演奏会当日に
遅刻してゲネに出られず、
おまけに楽器を家に忘れた夢でした。
絶対絶命。
夢の中でも過集中です。
しかも初見。

音楽の世界、
特にクラシックの世界は、
厳しい世界だなあと察します。
僕自身が生まれつき、なあなあな星の下に生まれた人間だからかもしれないけれど。

音程やリズムに
暗黙の規則があって、
それに合っているかそうでないかで、
物事が決まるような、
そんな厳格な一面があるような気にすらなる。

まわりのリズムに乗れなかったら、
その場で銃殺
みたいな。
そんなん言い過ぎだと思いますが。

でも、それには
音を出す事に対する、
聴衆の存在があるようにも思えるし、
音楽が集団で共有される際に宿命づけられた、
ある種の社会的な意味も感じられるのは確か。

出てくる音は、
人を素直に気持ちよくさせるのに、
何故か、それに能動的に関わろうとすると、
そこには、軍隊よろしき厳格な規律があって、
そこに自己をぴったりと当てはめる事こそが美であり、善であるとする場面があるのも確か。
勿論、それを達観した一握りの人だって探せばいるんだろうけど。

確かに、それは人類が
それこそギリシャの頃から培ってきた一つの知恵ではある。
しかし、知恵を利用するならまだしも、
知恵に自分を合わせる事に執着するのは本末転倒です。

知恵を使うために、
よくよく根本を学ぶか、
或いは知恵自体を無視するかしなくてはなりません。

ここまで書いて何ですが、
まあ、どうでもいい話です。


僕は、バイオリンって楽器を
学生オケで知って、
好きになった人間ですから、
どうしても、クラシック音楽のシステムの制約がある。
当たり前のこと。

これが例えばギターとかなら、バークリーメソッドとかの呪縛かもしれない。
まあ、それにしても、その理論は
西洋の文化の流れの中にある。

と同時に、明治以降の日本の、音楽教育の呪縛ってのもある。
これは実に根が深くて、
多分真剣に考えたら、精神を病んでしまうんだろうなと想像できる事柄。
これも、日本が西洋から持ち込んで移植した事。

それはさらに、学校教育と密接に絡み合っていて、
それはやはり明治以降の近代化の過程で日本が行なった強引な転換の後遺症なんだと、僕は勝手に考えています。
だから何だってことではないけれど。

哀しい哉、
そんなあれこれを、
空間を響かせる音楽は、
全く感じさせない。
音は音として、
ただ美しい。
不思議なものです。

その昔、ビルエヴァンスというジャズピアニストがいました。
ワルツフォーデビイというアルバムを
リヴァーサイドというレーベルから、60年代初頭にリリースしましたが、
かの名盤を録音しながら、
彼と盟友のベーシスト
スコットラファロは、
ギャラの事でもめていたという逸話があります。
演奏からは、そんな現実的なことは感じられない。
ただただ、奏でる音は美しいの一言です。

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