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あたたかい記憶を残しておこう

小学校に入学したらしばらくして、
体の弱い僕は、案の定気管支喘息で入院した。
小学生になると親の付き添いは許されない。
僕は相部屋の中学生と四年生のお兄さんの三人で、夜を過ごすことになる。
だから、僕にとって初めてのお泊り体験は、白いコンクリートの壁からナースコールのコードが垂れ下がる、あの病院でということになる。
母は末っ子の僕を心配し、入院初日は寂しかろうと泣いて帰ったというが、当の本人は親の心配もよそに、中学生のお兄さんたちと、夜中に点滴の棒を手に、肝試しだと言って手術室のある真っ暗な二階の廊下を歩いたり、赤いラジカセにコックリさんとかいう超常現象の声やらを録音して遊んでいた。病院には、そこはかとなく死の匂いが漂うものであり、なんとなしに嗅ぎ取りつつも、まだファンタジーの範疇でしか知らない、そんな子供らしい遊戯であったのだと思う。

食べる事は、生きる事。
なんて言っても、病院の食事は概して味気なかった。
唯一楽しみだったのは、ご飯についてくるふりかけくらいであった。でも、僕はその事を特に不満に思ったり、悲観したりしないどころか、大好きなごま塩のふりかけがお盆に乗っかってくるのを、胸をワクワクさせて待っていた。
今でもごま塩のふりかけを見ると、
どことなしに心が浮き立つのは、気管支炎が完治したとて、多分一生治らないだろう。


隣のベッドでいつも一緒に遊んでくれた、中学生のお兄さんが退院したあの日。

僕は布団に潜り込んで寝たフリをしていた。
彼が僕の母に、「起きたら、これ、あげて下さい。」
声が聞こえたけれど、
僕は最後まで布団から出られなかった。

泣き顔を見られるのが恥ずかしかったからだ。
湿った布団の中で、お兄さんがエレベーターの方に去ってゆくのがわかった。
リノリウムに遠のく足音。
しばらく、布団の中でしゃくり上げるくらいに泣いた。
声を出さないように、こらえるように。
暑くて汗だか涙だかわからない。
お兄さんが僕にくれたのは、
釣りキチ三平の漫画。
釣りなんて興味ないのに。
ぼんやりと天井を眺めた。

ブラックバスって魚がいることを、
僕はその本で初めて知った。


そして数日後、
僕も退院した。

入院中に学校のみんなは遠足にいったらしいと、
後日母が、退院した僕を連れて、
遠足の代わりに、
家の近くにある公園に連れて行ってくれた。
街道の名残の、大きな松がある公園だ。
温かい風と、静かに過ぎてゆく平日の時間。
公園には、僕と母の二人。

そんな、ささやかな記憶は、
一生もの。

それは
くじけそうな僕の心を
いまでも温めてくれている。

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