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2016年11月

あたたかい記憶を残しておこう

小学校に入学したらしばらくして、
体の弱い僕は、案の定気管支喘息で入院した。
小学生になると親の付き添いは許されない。
僕は相部屋の中学生と四年生のお兄さんの三人で、夜を過ごすことになる。
だから、僕にとって初めてのお泊り体験は、白いコンクリートの壁からナースコールのコードが垂れ下がる、あの病院でということになる。
母は末っ子の僕を心配し、入院初日は寂しかろうと泣いて帰ったというが、当の本人は親の心配もよそに、中学生のお兄さんたちと、夜中に点滴の棒を手に、肝試しだと言って手術室のある真っ暗な二階の廊下を歩いたり、赤いラジカセにコックリさんとかいう超常現象の声やらを録音して遊んでいた。病院には、そこはかとなく死の匂いが漂うものであり、なんとなしに嗅ぎ取りつつも、まだファンタジーの範疇でしか知らない、そんな子供らしい遊戯であったのだと思う。

食べる事は、生きる事。
なんて言っても、病院の食事は概して味気なかった。
唯一楽しみだったのは、ご飯についてくるふりかけくらいであった。でも、僕はその事を特に不満に思ったり、悲観したりしないどころか、大好きなごま塩のふりかけがお盆に乗っかってくるのを、胸をワクワクさせて待っていた。
今でもごま塩のふりかけを見ると、
どことなしに心が浮き立つのは、気管支炎が完治したとて、多分一生治らないだろう。


隣のベッドでいつも一緒に遊んでくれた、中学生のお兄さんが退院したあの日。

僕は布団に潜り込んで寝たフリをしていた。
彼が僕の母に、「起きたら、これ、あげて下さい。」
声が聞こえたけれど、
僕は最後まで布団から出られなかった。

泣き顔を見られるのが恥ずかしかったからだ。
湿った布団の中で、お兄さんがエレベーターの方に去ってゆくのがわかった。
リノリウムに遠のく足音。
しばらく、布団の中でしゃくり上げるくらいに泣いた。
声を出さないように、こらえるように。
暑くて汗だか涙だかわからない。
お兄さんが僕にくれたのは、
釣りキチ三平の漫画。
釣りなんて興味ないのに。
ぼんやりと天井を眺めた。

ブラックバスって魚がいることを、
僕はその本で初めて知った。


そして数日後、
僕も退院した。

入院中に学校のみんなは遠足にいったらしいと、
後日母が、退院した僕を連れて、
遠足の代わりに、
家の近くにある公園に連れて行ってくれた。
街道の名残の、大きな松がある公園だ。
温かい風と、静かに過ぎてゆく平日の時間。
公園には、僕と母の二人。

そんな、ささやかな記憶は、
一生もの。

それは
くじけそうな僕の心を
いまでも温めてくれている。

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たらたら、ながなが

今夜も音階でリズム遊びを1時間してから、
クロイツェルをさらう。
音階練習も中途半端。
クロイツェル40番にいたっては、
指が痛くて最後まで行き着けず。
不完全燃焼のまま。
二日弾かないだけで、
こんなにも弾けなくなるものとは。

経験上、技術的な進歩は、
焦っても手に入らないので、
また前に戻って、一からゆっくりやり直します。
ちゃんとした音で弾けるのが大前提。
コントロールできるとこまで戻って、ゆっくりと基礎練です。
手の内にちゃんと入った範囲でしか、音はコントロールできません。
偶然できたことは、手の内ではない。
できてもボロがあったり、みすぼらしい音だったら意味がない。
だから、できることを確実に身に入れていく作業を怠ってはいかんのかもしれません。

昨晩、夢を見ました。
昔からよくみる夢。
オケの本番前のゲネプロ。
僕は楽譜を十分どころか、全くさらっていなくて、
できない初見でひいこら冷や汗流して弾いているってやつ。
でも今回は、もっと凄かった。
何と、
本番のステージに上がったら、
弓だけ持って楽器を忘れた事に気付いたっていう。
そんな悪夢の中、
1プルサイドにあった、予備楽器をこっそり手に入れて、
何食わぬ顔で自分の座席に座ってみたら、
楽譜は弾いたことすらない、マーラーの何番かもわかんないシンフォニー。
なにこれと、楽譜をガン見の後ろでティンパニが轟音。
うわ、え?
みんな楽器構えてる?
何?この細かい音符、
むりむり、読めない読めない。
シャープいっぱいついてるじゃん。
きゃー、助けてー

って、そんな悪夢に首の後ろ汗びっしょりの午前6時。

この手の夢は、大学で単位落とす夢ほどではないにしろ、よく見る夢です。
オケの演奏会なんて、最近あんまり縁がないはずですが。

仕事帰り
今夜は、マイルスデイビスの名盤
SOMEDAY MY PRINCE WILL COME
を聴きながら街灯の下、車で帰る。
マイルスの自意識過剰なトランペット、
ハンクモブレーの人の体温を感じる柔らかなテナーサックスの音、
一方ジョンコルトレーンのそれは、鉄のように重く鋭い音で、見たこともない世界をぱあっと振りまいてゆく。
CBSというレーベルの録音は、
その前にマイルスが契約していたプレスティッジとは違って、
音がコンクリートに跳ね返るような、冷たい残響がある。
この残響の感じが、この時代のマイルスデイビスのミュートプレイと実にいい具合に共鳴している。
冷たい夜に、
クールなマイルス。

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楽器練習のゲーム化

音階練習を延々とやっていても、さすがにしんどくなることもあり、ちょっとしたゲーム的要素を盛り込んで、マンネリを解消する作戦に出ました。
メトロノームでリズム遊びです。
カチカチ鳴らしながら、
3オクターブを、
一拍一音から始めて
二つ、三つ、四つ、六つ、八つと増やしていく。余裕があったら五つで割ってみたりしてみる。5連符はなかなか慣れないので難しい。
あと、それを音階弾きながら適当にシャッフルしたり、
カチカチを裏拍でとったりしてみる。
あと、スラーで弾いたり、弓を返して弾いたりしてみる。
弓を返して弾くと、リズムの粗が出てしまうのは、基礎力の無さですね。
右手のコントロールは、永遠の課題です。
そんな遊びを取り入れたら、
結構頭を使うことになりました。

コツは、ぼーっと弾くことかもしれません。
ゲームとかでも、ぼーっとやってる時ほど、うまくいきませんか?
目の焦点を少し緩めて、ぼーっとすると、
ちょっと離れた所から冷静に見れるので、さらっといけることがあります。
昔、バイト帰りにゲームセンターでピンボールをするのが好きだったんですが、その時の感覚にちょっと似ている。まあ楽器練習の場合は、失敗しても出費を気にする事はありませんが。

音階練習は、自由な発想でいろいろ遊べる余地があるのかもしれません。
クロイツェルは、相変わらず40番をたらたらやってます。やり過ぎると、左指がしんどい。

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ときめきトゥナイト

ネット時代は、思わぬ功罪もあるものでして、
その一つに、過去のメディアのアーカイブ化と、それの拡散というものがありますが、
その御多分に洩れず、
僕も例の如くに、
夜な夜な、
Uの、
ツベで、
パラパラと、
過去の記憶を掘っくり返して、
悦にいってますが、
そんな中で、
思わぬ収穫もあるものです。

アニメ「ときめきトゥナイト」エンディング映像。

80年代の代物ですし、
僕はこの作品に関して、全く予備知識がありませんが、
このエンディングは、
かなりいい。
30年前の物とは思えないくらい、
すごくいい。
思わず、5回くらい繰り返し観てしまった。
キャラクターの女の子が全裸でマント姿で踊ってるから、ちょっとエッチな演出なんだろうけど、
あんまりイヤらしく感じなくて、
むしろ、カッコイイって方向で興奮しました。
カッコイイんです。
音楽もいい。

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価値観

僕はつい最近まで、
学校ってのは、
限定された枠組みの中で、
いかに遊びを考えるかを学ぶ時間だと、
真面目に考えていた。

例えば、画鋲でコマ回しをしたり、
消しゴムを指で弾いて机の上で落とし合いをしたり、
鉛筆にコンパスの針で穴を開けてサイコロにしたり、
つまり限定された空間を人工的に生み出して、その枠内で生きる。
制限があると、その中で何かを生み出そうともがき出す。
大人は子供をいかにコントロールするかにやっきになるけれど、
子供は子供で、したたかなもんです。
その環境の中で、さらに子供であろうとする。

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一人遊び

一人の時間を、どうやって楽しむか。
これには、ある種のスキルが必要で、
それを幼少期に身につけた人は、
そうでない人とは、ちょっと違ったライフスタイルを選ぶ余地がある

かもしれない。

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バイオリン

今夜も、ささやかな楽しみ
30分のつもりが1時間
楽器と遊ぶ

人によっては、それがゲームだったり、鉄道雑誌を読んだり、プラモデル作ったりするものだろうけど、
僕の場合はたまたまそれが、楽器を弾くというだけのこと。

何がそんなに楽しいのか、
僕自身にもわかりません。

世の中には、どんな楽器であれ、
手にすると無言で延々とイジり倒す人がいますが、僕もそういった類のこだわりがあったのでしょう。

子供の頃からその傾向はあったようで、
僕は小学校では、リコーダーを吹くと延々と吹いてしまう人でした。
でも、先生は、決められた時以外に音を出す事を厳しく禁止していたので、
吹きたい気持ちを抑圧しながら過ごしていたわけです。
もっと言うなら、輪ゴム一つで1時間くらい時間が潰せました。
ぴーんと伸ばして、指で弾いて曲を奏でる。
そのことに、つい没頭してしまう。

だから、自分の楽器が手に入ると、僕は貪るように弾きまくった。
例えば、それがギターだったなら、弦を押さえる指が痛くなるのも気にならない程に延々と無心で音を探っていたかもしれない。
現に、高校時代に友達の家に遊びに行った際に、たまたまそこにあった白いフォークギターを、コードも何も知らないくせに延々と弾き倒し、一日で指にタコを作った事がありました。

結局、手にした楽器はバイオリンでしたが、僕はこの楽器は自分に合っていたんだなあと、最近になって思います。
まず何より、モノの質感がいい。
楽器だよーって感じがたまらない。
それから、手軽なのも良かった。
手頃な大きさ。
あと、ケースから出してすぐ、割と気楽に弾けること。
管楽器は、いろいろ大変なものもありますよね。
ケースから出して、組み立てて。
あとメンテナンスも大変そうだし。
僕は口の形がイマイチ管楽器向きではないらしいから、多分出会っても没頭しなかっただろうなあ。
憧れはあるけれど。

オケで弾くのは、勿論大好き。
だけど、一人で音階を弾いているのも好き。
とにかく、楽器を鳴らす事が、
僕にとっての癒やしなのかもしれないのです。

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つくり話

その小さな街で
幼くして既に、
彼は、変わり者として知られていた。
いや、おそらく
変わり者という呼び名を、
彼に与える事により、
理解し難い、彼の奇妙な行動に、
人々はある種の社会的赦しを与えたのである。
赦しを与えられたのは、彼自身か、それとも街の人々か、
いずれにしても、彼は何の生産性も無いにもかかわらず、そこに居る事を認められたのであった。
彼は、この日曜日に、29歳になったそうだが、
今に至るまで、言語の獲得はおろか、排泄の自立もままならない。
しかし、彼は驚くべき事に
街の公民館にある、古いグランドピアノは、
産まれながらに流暢に奏でることができた。
そのスタンウェイのピアノは、長らく誰も弾かなかったが、調律が悪ければ悪いなりに、良ければそれなりに、彼は音を組み立て、そのピアノから生み出すことのできる最良の音を、埃の舞うその空間に響かせることができた。
人々は、その至福の音楽に時に何処か懐かしい気分になり、
時に泣きたい程悲しくなり、
そして、時に神を感じた。

その音は、決まった時間にはけして始まらない。
時にそれは、午前2時であり、
時にそれは、正午であった。

いつ始まるかも分からなければ、
いつ終わるかも分からない。
彼がピアノの前に座っていたとしても、
鍵盤を眺めたまま、4時間以上なにもしない事なんてざらである。

彼は、鍵盤を指で叩きながら
いったい何をしたかったのか。
産まれる音楽は、人の心を動かすが、
当の本人は、そんなつもりは無いのかもしれない。
ただ、数列の組み合わせを試しているだけかもしれないし、
或いは、草の間にいる虫のささやきを、再現しているだけなのかもしれない。

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現在、過去、未来

現在、過去、未来

一番健全とされるのは、現在を意識すること。
当たり前です。なにせ、生きとし生けるもの、みな現在を生きるものなのですから、今という、ここを生きるのが本来のあるべき姿である事は、疑う余地すらないようにも思える。
現に、地を這う虫も、
樹々に群れる鳥たちも、
今を生きている。

でも、こと人について言うならば、
現在を生きる人が、全てとは決して言うことができない。
現に、この僕自身が、
そうなのですから。

今を見ながら、過去を憂い、
今を眺めて、先々の不安に悶える。

これが人の抱えた根源的な不幸なんだと、
禅の教えはさておいて、
分かっていながら、それにどっぷりと漬かり込んでしまうのも、
産まれながらに汚れし我らの宿命だと思い、腹をくくる必要すら感じる今日この頃です。

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クロイツェルの旅

クロイツェルの旅も終盤にさしかかり、
今は40番。
なんじゃこりゃ。
曲にならない。
多分半年くらいかけないと、満足な結果にならない。
というか、満足に弾ける日が来るのか?
クロイツェル中盤のトリル地獄を越えてきただけあって、トリル自体は何とかなるにしても、スラー付きの重音とセットになると、途端にテクニックの無さが露呈する。
多分左手よりも右手の知性が無いことが問題。
これは、ちゃんとやれば新しい境地にいけるかもしれない。
だけど、辛い辛い練習です。
一旦頭を冷やして
長い目で、考えて行く必要があります。
次の41番の方が、下手したらとっつきやすいかもしれない。
でも、40番をちゃんと弾けてから、
41番に移行したい。
あと3曲だけど、
この3曲が、大変そうだなあ。

音階練習は、ゆっくりやった方が効果的だと気づく。
流れ作業にならず、一つ一つの音を弾く身体の動きを把握できる点で、
練習効果がある。

楽器の鳴りが半端ない。
夏に調整したおかげ。
弦の発音がよく、他の弦ともよく共鳴するので、
音程が合うと楽器自体が響き出す。
もちろん、そのツボから外れた音も弾く場合があるにしても、
それすら、それなりに鳴り響く。
楽器の調整は大切だ。

金属ミュートから、ゴムミュートに替えた。遮音性能は金属に劣るが、演奏する感覚は、ゴムの方が的確だと思う。

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子供っぽさ

childlikeと、childish。
高校時代に、その違いについて先生が話していたのを
深夜のダイニングでふと思い出す。

僕は、こんな歳になっても
やっぱり子供っぽさが抜けなくて、
大人社会に長くいれば、
そんな自分に対して、落ち込んでしまう事もあるけれど、
僕の場合それは、
childlikeか、
それともchildishか。

たぶん
価値判断は、自分の外にあるってのが、大勢の意見でしょうが、
僕は敢えて、こんな仮説をでっちあげたい。

childishか、childlikeかは、
自分自身でそれを自覚しているかいないかによる。

自覚しているのが、childlike
してないのが、childish
まあ、どっちだって
大人になれない、情けない人間には変わりありませんけど。

職業柄かどうか知りませんが、
人の感じる身体感覚
つまり世に言うボディイメージに興味があって、いろいろ調べたりなんかしてる。
例えば、アレクサンダーテクニークの本とか読んでると、
「上半身と下半身を分けるのは、ウェストではなく、股関節だ」
なんて文章に出くわしたりする。
これを意識するだけで、大げさな話、腰痛が治ったりする。


とんだ思考の飛躍です。
またやってしまった。

何故いきなりchildishとchildlikeの話から、股関節の話に飛んだんでしょう。

つまりはこう。
そもそも、子供と大人の境目はあるのかっていう問いが、そこの間にあったはず。それをすっ飛ばしちゃった。悪い癖です。


僕の場合、
そんなふうに、
年がら年中、
思考はサーフィンを続けている。
これは、ある意味で僕の抱えた病なんだと思う。
この先治る事はまずないでしょう。
もしまがり間違えて治りでもしようもんなら、
恐らく僕は、その時点で僕ではなくなってしまうことでしょう。
空へと舞い上がろうとする凧のような思考を、
時には、手元の糸でコントロールしなくてはならない。
それが、この世の中で生活していくためのスキル。
ただ、これを巧妙にすればするほどに、
人はフリをする事になる。
悲しい性ですね。
ちゃんとそれなりに、自覚できているうちは、
まだ大丈夫。



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