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ボブディランという言葉

何のため。
誰のため。

人生の落とし穴。

そんな目で、いつもの光景を眺める事を始めると、
人は、ほんの少しだけ、
皮肉屋になる。
そして、世の中を生きづらくなる。
だから皮肉は、
ほどほどに。

エジソンについて考える。

エジソンは、
変わり者だったけれど、
電球や蓄音機を作って、
沢山の人の役に立ったから、
偉人になった。
でも、役に立たなければ、
ただの変わり者。

変わり者は、世間の役に立つかどうかで、その変わり者の存在価値が変わるのか。

いつだって
忘れない
エジソンは
偉い人
そんなの常識

誰にとっての偉い人か。
誰にとっての常識なんだろうか。

多分、エジソン自身は
偉くなくても、
愛すべき人だったんだと思う。
知りたい事を、思いのままに貪るように探求する行為に
ある種野生的な執着でもっていそしみ、
ちょっとしたウィットとともに、
何か新しい物を生み出すことを喜びとしていただけなんだけれど、
その愛すべき人柄ではなく、
成し得た功績に注目するもんだから、
おかしな事になる。
僕は勝手にそう思う。


人に自分のやってきた事を讃えられるのは、嬉しいこと。
幸せなことだと言ってもいいのかもしれない。

だって、自分の思いを沢山の人と共有できるのは、
孤独を本来的に宿命づけられた人間にとっては、ある種大きな報酬なのだから。

穴掘り
そう、穴掘りと一緒。

掘って掘って、
それこそ地球の反対側まで
一人で掘っていったら、
みんなに繋がったといった類のこと。

でも、
掘って掘って、
地球の反対側までいったら、
誰もいなかったって事もある。

でも、掘らずにはいられない人も
いるんです。
だったら、掘るしかない。
それは、孤独な決断。
それを、勇気付けるのが、
先人の生きた軌跡であるならば、
伝記は確かに、よい読み物なのかもしれません。

かれこれ、20年も前の話だけれど
大学の保健管理センターにカウンセリングに通っていた時期がありました。
そこのカウンセラーの先生が、
僕にとっては初めての恩師だと思うのですが、
その先生が、伝記を読むことをよく勧めていたのを思い出します。
秋深く、
甲府の11月は、山の色が本当に鮮やかで
ぞくぞくするほど、空気が澄んで
太陽が温かかった。
愛宕山という山の遊歩道を、
カサコソと落ち葉を踏みしめながら、
一人で黙々と歩く。
そのダッフルコートの背中に感じる陽光の温もり。

蝉は地中に何年も
孤独な時を食べている
その濃厚な時間
孤独は植物の根のように、
地中で静かに、養分を蓄える。

あの頃僕は、
駅前のレコード屋で、
あるCDを買った。
ボブディランの「追憶のハイウェイ61」
下宿で窓を開け放し、
曲を流しながら歌詞カードを見るが、
内容はよくわからない。
ただ、妙な清々しさがあった。
最後に収録してある
「廃墟の街」って曲を気に入って
何度も何度も聴いた。
時に床に寝転がって、
時に酔っ払って、
またある時は、カセットコンロでトマトの水煮缶を煮込みながら。
ハーモニカの音が、高い空に吸い込まれていく様子が、
何だか殺伐とした、あの頃の心地よい寂しさと相まって、気持ちよかったんだろうなあと、今になって思う。
フィリップモリスのスーパーライトを、
ぷかあっとふかしながら、
別に何かするでもなしにね。
ぼーっと居心地の悪いような、
何ともいえない不安定な気持ちを眺めながら。



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