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おじさんもわるくない?

この夏
なんて言うと、夏がもうすぐ終わるみたいで寂しくなるけれど、
この夏、我が家の二人の子どもたちは、
蝉を手づかみできるようになりました。
それから僕も。
蝉って、あんなにもあっけなく捕まるものだなんて知らなかった。
そっと羽根の付け根を掴むと、
蝉自身が、「あ」て思うのが分かる。
羽根の根元を掴まれてるから飛ぶこともできず、
観念してシュンとする。
それが可愛い。
敢えて蝉に代わって弁解するならば、
彼らは地表の空気に触れて間もないから、
自然界の荒波に揉まれてないのはしょうがないのだけれど。

知ってるつもりの事も、
分かってるつもりの事でも、
時が経ち違った姿で再び現れるのは、
特別なことでなく、
誰にでも訪れる人生のちょっとしたハプニングのようなもの。

若い頃は、
いろんなことの幅を自分で決めて、
これはキライとか、
これじゃなきゃダメだとかしていたかもしれません。

それは多分、
自分の心が
カニクリームコロッケみたいにやわやわで、
危うかったから。

外から来るものを、
やみくもにフィルターかけながら、自分なりに頑張ってたんでしょうね。

カニクリームコロッケってのは、
全くもってセンスない例えでした。

羽化したての白い蝉ってのは、
どうかな?
あれ、いっぺん見てみたいなあ。

ともかく
若さは、
今を乗り切るのにいっぱいいっぱいな心。
これを若さとするならば、

人にはその若さを通過する過程で、
見落とした綺麗なものや、
聞き逃した音がいっぱいあるはず。

だから、
ある年齢になったら、
ふと振り返り
もう一度、眺めてみたくなる。
それは宿命的なこと。
蝉の幼虫が地表に出たくなるみたいにね。

すると、
ああ、あの時は考える余裕は皆無だったけれど、
こういうことだったんだなあと、
今になって感慨深く思えてくる。
これは、なかなか素敵な事です。

だからね。
おじさんになるのも悪くはないと思うんです。


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