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オケの海に、海水浴するための心の準備について

ブルッフのコンチェルトの、
セカンドバイオリンのパート譜をさらってるんだけれど、
スコアを見ても会わせどころを頭に叩き込みきれないので、
五嶋みどりさんと、ベルリンフィルの皆様にご協力いただくことに、
といっても、ただCDと一緒に弾いてスコアで見た箇所を腕と耳に刷り込むだけなんですけどね。
にしても、やっかいだ。
僕みたいなアンポンチンには難しすぎます。
周りとの関係が頭の中でイメージできません。
他の感覚の助けが要るのです。
例えば視覚。
フレーズなり、リズムなりに影響を受けた身体の動きに、自分をシンクロさせる。同じ動きをするわけじゃないけれど、同じ流れの中で音を出す。ある意味触覚かもしれません。
そうそう、指揮者の先生がいますから、
ソリストと指揮者の先生の気配と、パートのトップやプルトの隣の人、少なくともミリ単位で微妙にズレのあるそれらの人々の感じているリズムを面で捉えて自分を埋没させる。
それをするには、結局は地固めが必要なのかも。
スコアをなるべく頭に入れるのもそうだけれど、
パート譜を音にする過程を、脳みそではなくて、脊髄や、せめて脳幹レベルの範囲になるまで練習して身体に馴染ませておくこと。
別に聴衆に上質の音楽を提供する事が第一の目的ではない。
つまり、自分たちのために弾く演奏会。
だから、入場無料です。
こうあるべき。
これが理想。
ただ、危険があるのは確か。
つまり、マナー良き聴衆を集めるには、
マネーという堤防によるフィルターが要るという考えも、一理あり。
まあ、そこはそれぞれ。
ステージで音を出す一個人としての僕は、
如何に自分を場の流れに乗っけられるかが目下の課題。
つまり、そこで生まれる音楽を共有する体験を、
より確かなものとするために、
自分の人生にとって、より意義ある時間にするために、
忙しい日常の合間に、
いろいろと工夫しながら過ごすだけのこと。
何のため?
分かんないってのが正直なところだけど、
たぶん、自分が生きてきた時間に対するオマージュなんだと思います。
そんな動機が持てることは、
幸せなこと。
ただ生きるだけで意味があるのに、
人は何か他の意味を求めてしまうもの。
年を重ねれば重ねるほどに、
選んだものに一貫した意味を後付けしたくなる。
自分の見た風景。
出会った人。
記憶はいつかは消えてしまう。
記録をしても、
その価値を知る感覚の母体は、
いつかは無くなるもの。
でも、自分という存在にしがみつく、
生きとし生ける存在たる
わたくしというのは…

まあいいや。
つまり、やろうとしているのは
外でざわざわしだしたアブラゼミ、クマゼミと、さして変わりない。
過去と現在を含めた
自己の存在をまわりに溶け込ませる目論み。

ちっぽけだなあ。



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