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問い

感覚の感度を上げる事は、
別な視点で言うなら自分の心を無防備にする行為ですから、
その前提にあるのは
無防備にしても持ちこたえられる自己に対する信頼というか、自信というか、
そんなものがないと危険なことであると、実感しています。

感性で捉えたものを、自分の中に統合できるだけの体力が必要なのです。
じゃなきゃ心が潰れてしまいます。

感性を開くのは、意図的に閉じる事よりもうんと楽です。
一度開いたものを、コントロールするのは至難の技。
所詮人がコントロール出来るのは、ほんのちょっとの範囲。
半径30㎝、そんなもんかもしれない。言い過ぎでしょうか。
それを、つい過大に考えて、
自己の肥大が始まる。
それが人類の歴史だといやそれまでですけど、
自分の内面もコントロールできない人間が、自分の外に対して上手く扱えるなんて言うことは、たちの悪い冗談以下の戯言にしか思えない。

気を使う人、
相手のことを察して行動する人の事を、
美徳と讃えるのは、誰しも疑う事のないことかもしれない。
だけど、そんな自明のことにも
疑いを持ってしまうのは、
自分の心が曇っているからでしょうか。

おぎゃあと生まれた人というのは、
周りに対してその身を捧げる事を、
生まれながらにして運命付けられし者なのでしょうか。

そこまで行き着くと、
宗教的な問いになってしまいますから、
そこのところを、他人の判断に託すのは無意味な事ですけど。

とにもかくにも、
そんな事に憂鬱にならないほうが、
幸せに決まってるのは確かです。
考えすぎは身体に毒。

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