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入学式にダンゴムシ

昼過ぎて咳が止まらず、
頭がぼんやり。
夜になると
のぼせたみたいになって、
ありゃ、これは風邪かどうかは別として、
体調は良くないなあと思いながらも、
頭が無駄に冴えて、
ベッドで眠ることもままならず、
例の如くアルコールによる強制終了中。

どうやら明日は雨のようで、
桜の花も見納めですね。

午前中、仕事休んで
息子の入学式。

式中いろんな人を
特別な意味もなく
つい観察してしまいまして、

悪い癖だなあと思いながらも、
見ちゃうんですよね。
斜め前にいる桜色の和服のお母さん。
髪型はボブ。
兄か姉がいるのかな。
来賓やら、先生やらが通り過ぎるたびに、椅子から二、三センチくらいお尻を上げてせわしなく
挨拶というか、会釈というか。
そんなんしている。
そんなの見ながら、
その首の動きの素早さが、
何だか動物的だなあって思ってしまったら最後、
その人がニワトリにしか見えなくなってしまうのでした。
コッコッコッ
バサバサッ。

右隣のお母さん。
一眼レフを片手に、
さっきから下の子と飴玉舐めている。
舐めているのか、かじっているのか。
パシャッ、ガリゴリ
パシャッ、ガリゴリってね。

やれやれ

そうこうしている間に、
PTA会長の話は終わり、
少し疲れたその男性は、
僕らの目の前を
往きと同様に俯き加減で通り過ぎる。
その哀愁ったらない。

いや、別に
他人を批判的に見ようとか、
皮肉っぽく見てやろうとか、
そんなつもりは毛頭なくて、
逆に、好感すら抱きながら観察しているのですが、
体育館の高い天井の下、
子どもも大人も関係なく
人々は、この空間にどんな意図を持って座っているのか。

なにせ暇なんで、ついそんなこと
考えちゃうのです。

え?
子どもが新しく小学生になるから、
みんな集まってるんだろって?
式なんだから、集まるの当然だろって?

いやいや、確かにそうだけど、
僕の話は、もう少し踏み込んだ話。

誰もがデフォルトと思っている枠組みの中で、人はその空間でのみ通用する暗黙のルールに、反射的に従っているけれど、
反射的であるということは、
つまりはSOULは動かない。
まあ、明治じゃあるまいし、それを2010年代の小学校の入学式に望んじゃいけない。
大体セレモニーとしての意味自体、
求めること自体、
野暮ったいかもしれません。

繰り返しになりますが、
別に批判しているわけでも、
悲観しているわけでもありません。
入学式なぞ、そんなもんです。

ただし子供たちは
SOULで世の中見ているので、
そんな空間でも
何か一生もんの宝物を
脳の海馬に貯蔵するのだと思います。

子どもというのは、
大人の対極にいるもの。
しかも、どっちもいないと、
やっていけない。
次元の違う差異を、
取り込める可能性は、
日本を含む東洋の、
伝統的な特性なんだろうかなあと、
少しだけ思います。



あたりまえのことを
あたりまえにできるように

これは、
僕の通っていた小学校の
校長先生が
朝会でよく言っていたこと。

でも、
この歳になっても、
僕はまだ大人になれないのか、

あたりまえってのが、
時々分からなくなる。

あたりまえの前に、
誰にとってのっていうのが付いていないといけない。

誰にとってのっていうのを、
みんなにとってのって
独自に決めて、
そこから外れた、
まわりの反応に傷つく人、
あるいは、そんな人の、
あたりまえのお仕着せに傷つく人、
いるかもしれない。

みんなが、
同じ方向を見るには、どうしたら良いのだろう。
でも、
私見として
それは難しい。

いや、
同じ価値観で生きるなんて、
幻想かもしれない。
そう、幻想だ。

でも、同じ方向を見ることは無理でも、
場の共有は可能。
それから、その場をより居心地の良い場所にするのも、条件が揃えば可能です。

学校ってなんだろう。
教育ってなんだろう。

唇を噛み、下を向く

一つ前の座席あたりに
ダンゴムシ。
思わずビデオで撮る。

「来賓の方々が退場されます」

ダンゴムシをファインダー越しに眺めながら、
通り過ぎる黒いスーツの男女たち。

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