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走れメロス

世の中は誤解だらけである。
確かにそうかもしれない。
これは自明のことだって信じ切っている事に限って、
丁寧に掘り返して考えてみると、
何かに振り回されていただけだったという、
もし、そんな事に気付くことがあれば、決まって
あのちょっとした不信感と、
荒野に立ち尽くすような孤独とを、
同時に感じる事になる訳ですが、
それに対して、わあわあ、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのは、つまりは眼前の不安を解消するための対症的な反応に過ぎないのであって、
そうやって周りを巻き込んで、上手くいく場合だってあるけれど、
それは、その場合が上手くいっただけで、
浜辺に波が押し寄せるように、
不安の種はひっきりなしにやってくるのですから、
結局いつまでたっても安心はできないんです。

そんな不安と戦い続けるのが、
生きることなんだって、
そういうのも、アリだとは思いますが、
僕にはちょっと無理ですね。
性に合わない。

僕なら、そんな時
ちょっと時間が欲しい。
孤独な穴の中で、
ほんの少しでいいから、
一人で考えたい。

きっと、何らかの答えが見つかる。
たとえ見つからなくても、
次にどうするか、どうするべきかは、
分かるはず。

それがわかるまで、
穴から出てこれるまで、
待っていてくれる誰かがいてくれたら、
それは、とても幸せなこと。
ファンタジー。
恐らく幻想なのかもしれません。

まあ、誰も待ってくれていなくても、
穴を掘り、
人は深い闇に降りて、
ちょっと考えなくてはいけない時があるのは確か。

これ、多分に男性に多い傾向らしいのですが、
待っていてくれるのを期待して良いのは
恐らく異性ではなく、
同性なのかもしれません。
これは、限りなく何となくな話ですが、
そんな穴に入って出てくるのを
黙って待っていてくれる程、
人は親切じゃない。
こちとら毎日生きてんだっちゅうねん。

しかし、
こと友情という、
微妙な距離感がある場合に限っては、
もしかしたら比較的成り立ちやすいのかもしれません。
ファンタジーの中でも受け入れやすいというだけの話かもしれませんが。

いずれにせよ、待つというのは、目に見えないけれど
すごいエネルギーです。

ちなみに太宰の「走れメロス」なんて、
あれを男女の話にしたらって思うと、
かなり妄想の種になります。
現実世界であれをやろうと、
太宰は、何度もやらかしているんですからね。

いやあ、なかなか病んでるなあ。
いや、病んでいるのを病んだまま生きるか、それとも奥深くにしまい込んで知らないふりして生きるかの違いかもしれません。
だから、太宰の作品は今でも名作なんでしょうね。

人間という存在であることからくる、不可避な部分で病んでいる事実を、
例えば見えないように生きることができるなら、
それはそれで幸せなんだと思う。
最後の最後まで、人にも気づかれず、自分にも気づかれずにね。
立派な生き方かもしれない。

でも、もしそれができないほどに肥大してしまったとしたら、


まあ、小説でも書くしかないんでしょうね。


僕?
僕はまだ大丈夫。


あなたは?

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