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長々と、だらだらと

朝晩が肌寒くなってきた今日この頃です。
湿度が低く、空気が澄んできました。
8年くらい前に買った、安物のエレアコ。
仕事でジャカジャカ弾きながら、
弦も錆び錆びですが、
長らく愛用してきた青い色した無骨な彼でしたが、
長年乱暴に扱ってきたせいか、
はたまた1万そこそこの安価な品物だったせいか、
先日、ふと見たら
ネックがねじれていました。
弦の張力に負けたのですね。
CとG、あと最近覚えたFのメジャーの
ダイアトニックコードを
右手の人差し指でウクレレみたいにジャカジャカやってる程度の技量なので、
さして演奏に支障はありませんが、
見た目に明らかにねじれているので、
ああ、ついに寿命かなと
秋の風が吹いたせいもあるか、ないか、
少し寂しい気分になりました。

人の身体は、こちらの意図とは別の次元で
いろいろと考えてやっているようで、
僕の左手人差し指は、最近
Fのコードを弾く時に、指の屈伸運動でセーハを押さえに行くようになりました。
ギターってのは、脳で思考しながら効率的な繋がりを工夫する作業が必要な事が、分かってきましたが、
身体の方も、それとは別に
いろいろと試行錯誤しているようです。

脳は30を過ぎても、
まだ、成長をするのですね。
知識や経験を繋げて、新しいものを作り出す力は
まだまだ発展途上です。
それを、楽しめるだけの
そこそこの健康状態を保っていられることは、
実に有難い事ですし、
逆に、有難いという言葉通り、
いつどうなるか分からない中での楽しみでもあります。
所詮、人の身体には耐用年数があって
僕の身体の血管は、今こうしてる間にも、血栓を構築しているかもしれませんし、
心臓は、明日も今と同じように規則正しい収縮を繰り返す保証はありません。
細胞の死と再生の循環は、今こうしている間にも続いていて、実は癌細胞が数ミリ単位で育っている事だって、有り得るのです。
そんな可能性の合間を縫って、今も変化し、新しい世界を見たり、感じたりできる事は、
一昔前なら、そんな事全然実感しなかったけれども、
今は、とてもかけがえのない事のように思えています。
社会は、あれやれ、これやれ。
こうしろ、ああしろ。
そんな時代の中でしか通用しないような勝手で、しかも閉鎖的なルールのお仕着せを、
いち野生生物であるところの、猿の染色体に毛が生えたにすぎない僕たちに、無責任に突きつけてきますけど、
とりあえず、
そう、とりあえずは、
今夜眠る前の数分間。
その時間は、
自分でありたい。
それが、できないにしても
眠っている間は、
自分の中に、どっぷりと浸かっていたい。

昨日、
夢の中で、
ちょっと懐かしい人に会いました。
その余韻に、少し浸れるほど、
なかなかよい具合に、構成された
質のよいストーリーでした。
夢判断なんて野暮な事。
財布には、二千円。
夜中の三時半。
家に帰れないので、
お金を借りようと、
そんな変な夢でしたけど。



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