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とりとめもない

古いハリウッド映画
「ティファニーで朝食を」で、
オードリー・ヘップバーンが若きジョージ・ペパードに言うセリフ。
「レッドな気分は、ブルーよりももっとひどい状況なの。」
そんなレッドな時は、高級な街ティファニーで朝食を食べるんだと続きます。
レッドな気分は、人それぞれ違うもんですが、
僕の場合は、ヘップバーン演じるゴーなかライトリーさんとは違って、もっといかれた妄想があります。

つまり、それは、
真夜中のカラオケボックスに一人で入って、
適当な曲、
「木綿のハンカチーフ」とか?
何だって構わない。
そんなん片っ端に流しながら、
マイクに延々と「あー」とか「どわー」とか怒鳴る。
一時間くらい。
喉をイワシの丸干しみたいに、ぐわっと広げて、
胃を絞り出すみたいに
「うわあー」って具合にね。
ありったけの大声で、
まるでベッドに縛り付けられて、
体長10メートルのワシに
足で内臓をむしり取られているかのような、
尋常ならない絶叫を、
カラオケボックスの廊下にまで轟かせたい。

それで、すっきりするかどうかって次元の話なら、
それ程深刻ではない。
すっきりなんてするはずがない。

それよりも、
この絶叫は、反社会的であるところの、
一種のプリミティブな軽い逸脱行為であって、
意識のレベルでこれをやるのは、
ちょっと危険ですよね。

こんなことの受け皿が、
芸術なんだと、
僕は信じたい。

個人における、ある種の宿命的なテーマにおいて
自浄作用としての創作活動は、
個人の情動(意識や無意識のレベルでの)を社会に適応できるギリギリのラインで提示できる最終手段なのかもしれません。
逆に社会に適応できない例は、つまりは犯罪なんですけどね。

それを、実際やっちゃってるのが、多分
僕がたまに無性に聴きたくなる、
阿部薫なのかもしれない。
あのヤバい昭和のアルトサックス奏者。

当然長くは続かない。
彼は死んじゃうんですけど、
もし生き残ってたら、
いや、あれだけやったら
生きてらんないよねって、
何となく分かる。

音楽は、秩序の在り方という事において、
文明社会と切っても切れない関係にあるかもしれない。
秩序ってものの捉えは、地域や時代で随分と変わるけれど、

自由は、ゆるい秩序の中に産まれるものだとするならば、
音楽は、その秩序を上手く使って、
人に何かを伝え、共有する手段になったのかもしれない。

最近、ギターでジョアンジルベルトのデサフィナードをコピーしているんだけど、
驚きなのは、歌詞の音節と
楽曲のリズムが複雑にずれているってこと。
確かにギターは、拍をちょっと前にくってるんだけど、歌詞はそんなのとは違う次元でやっている。
すごいレベルの事をやってるんですね。
それでいて、ぱっと聴きはんなり心地よいんですから、
ありゃ魔法ですよ。
ビビデバビデブー。


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