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思考のサーフィン記録

今夜は、何故か子供たち
みんな早く寝てしまいました。
特に、2歳半の娘ちゃん
朝4時に起きて、
しかも、いつもしている午後の昼寝をすっとばして、お兄ちゃんや近所の子と、庭やら広場やらで遊びまくったせいで、
夕方、テレビでお母さんといっしょを観ながら、ソファで撃沈。
兄は兄で、晩御飯に好物の焼きそばを食べて、思い残すことなく、ぐっすり就寝。
気付けばまだ7時。

最近、夜はなかなか眠れない僕からしたら、
本当に羨ましい限り。
まあ、かく言う自分も
こんな年頃の時分は、
母親に言わせれば、
三つ数える間もなく寝ていたそうですから、
人のことなぞ言えませんでしょうけど。

大人は大人で、
それなりに分別がつくというのが、
まあ、世間一般的な大人の要件の一つでしょうけど、
分別ってのの範囲は、それはそれは個別で違っている訳でして、
それを社会的な経験を基に、自分なりのフィルターを通して判断し、工夫しながら
多少、強引に簡潔に言うなれば、
空気を見ながら、あるべきとされる姿をイメージし、できる範囲内でフリをするスキルを身につける事が、大人になるための必要要件なのかもしれません。
社会が歪めば、個人も歪む。
個人は時代に、少なからず影響を受ける。

そんなのどっかの誰かが言ってた事でしょって、
それはそう、その通りなれど、
されど、岡本太郎がその昔、
私は縄文土器を発見したんだって、
博物館の展示を見て発見したんだって言ったとか言わないとか、
そんなことと同じように
過去の誰かが気付いた事を、
同じように感じられたのだとしたなら、
それは、自分にとって発見なんです。

夜にベッドで眠りにつく前
あるいは、街灯照らす国道を帰るフロントグラス越しに思うのは、取り留めもない事ばかり。

今日思ったのは、
人は年を取るほどに、記憶が膨大になってくる。
勿論、生きるというのは、物と関わる面もあるから、気付けば身の周りには物がいっぱい。
でも、物なんかより、人の身体に蓄積されていく記憶は、いつしかその人自身を身動きできない程に埋もれさせてしまうのではないだろうか。

結婚して間もない頃、
住んでいたマンションから程ない距離にある、
世間で言われるところのゴミ屋敷が、火事になりました。
あの夜、窓から見えた
炎の灯りをぼんやりと眺めながら、

ああ、あんなにも物があって、どうしようもなくなったら
自分だったらやはり、
ああいう形での清算あるかもなって、

誠に不謹慎ですが、
そんなこと思ったのでした。

記憶が年月とともに積み重なる場合は、
比較すべき事でないでしょうが、
物よりもっと深刻だという気がしています。

これから先、今できる事が時間と共にできなくなっていく。
そりゃそうです。僕に限らず人は誰でも年老い、土に還る宿命が、
産道を抜けおぎゃあと産まれた瞬間から生じている。

それを、どうやって自分に取り込んでいくか。
いや、言いたいのはそんなことじゃない。

記憶というものが、
ある程度溜まって
煮詰まって、
ドロドロした中から、何かを吐き出さざるを得ない衝動が生まれる。

記憶というのは、感情と密接に関わるものであるから、
過去の心の清算を、何らかの形で表に出さなくてはならなくなるようでして、
なるようというか、
それは、生理的な欲求なんだと思うのですが、
その記憶を吐き出す過程が、
つまりは、その
表現せざるを得ない人の性なんだと、
受け手を想定しないけれど、
でもやらないと、生きられない表現なんだと
そんな事思う時、

僕なら、今
ゴッホの麦畑の絵が脳裏に浮かびました。
カラスが沢山飛んでるあの絵。

これは僕の場合。
だけど、これは人それぞれに違うもの。

一撃が、どう響くかは
その人の身体や、感覚、それまで見てきたもの、吸ってきた空気によって、幾様にも変わるもの。

ああ、訳わからなくなってきた。
ビール飲みすぎたせいかしら。

思考のサーフィン、
今夜はこれまで。

おやすみなさい。

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