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暗い日記

ストレスを精神的なレベルで把握できるうちは、まだ初期段階だと
ここ数年思います。
ストレスがある閾値を越えると、身体がついていかなくなる。
ここまでくると、やっかいなことになるんです。
それを処理するのは、本当に難しい。
きっと、意識のレベルを超えてしまっているんです。
そのことを意識レベルの範疇に入れるか、あるいは無意識に放り出すかによって、対応の形は変わります。
気持ちに身体がついてこない。
そのことは、自分の脳が命令していることなれど、
それは自我とは乖離しているというジレンマ。
それが人を苦しめる原因なのかもしれません。
一人の存在としての自己をフォーカスするか、
あるいは社会的な存在としての自分に焦点をあてるかによって、
やり方は大きく変わるはずです。
その問題は、ものすごく根が深くて
そう簡単に結論は出ない。

手に力が入らない。
持っているものを落としてしまう。
足に力が入らない。
歩くのも大変だ。
動悸がする。
階段を上るだけで息切れがする。
めまいがする。
今立っている地面が揺れている。

これは、身体のサイン。
休めというサイン。

だけど、休めってどうすればいいの?

眠ればいい訳ではないはず。

重い石の円盤を
ゆっくりと転がすことでしか
毎日をやり過ごせないこの摩擦。

子供時代にも、生きにくさは感じてはいたけれど、
大人の世界は、もっと複雑で
そして許容範囲が狭い。
人はそれぞれのやり方で生きるしかないのに、
そのやり方を周りと交渉しながら変革しながらやっていくのに、
外の要求は年月を経るごとに厳しくなり、
いつの間にか上手く踊れなくなっていく。
仕組みは分かるし、どうやればいいのかも分かる。
でも、身体がついていかないのです。
油の切れた歯車みたいに、
ギシギシと無理に動かすしかない。

電車は決まった時間にホームにやってくる。
それは、鉄道会社の人たちの努力の賜物。
だけど、
だけれども、

僕の胸の中で、
僕の心臓は、
僕が眠っている間にも
規則正しく収縮をして、
血液を循環している。

そんな心臓は、
確かに尊敬に値するものではあるけれど、
僕は、僕の周りの世界の中で
その社会の一端として
やっていくことに対して
一人の完結した生命体として
役割を果たすことができるだろうか。

その事を、考えます。
これを考えることは、
ある種深い穴を覗くような事かもしれませんが、
ブラックホールに吸い込まれるみたいに、
その問いは、ぽっかりとそこにあるんです。




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