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じーっ。

7年か8年か、
しばらくぶりに転勤しまして、
しかも、ちょっとだけ違う世界に放り込まれるような形の転勤でして、
どういったらいいのかなあ、
ちょっとだけ、似てるけれど違う国に身寄りもなく単身で移住したって感じでしょうか。
こんな状況下で、まずやれること。

孤独と疎外感に打ちひしがれること?

いやいや。
それは、あえてやらなくても勝手にやってくるもの。

じゃあ何か?

例えば、貧弱な頭脳をフル回転して
いつも決まって僕がするのは、
とにかく動くこと。
とにかく掘ること。
能がないとは、この事か?

つまり、
庭でつかまえて、インスタントコーヒーの空き瓶に落とした一匹の甲虫が
触角を振り回し、訳もなくウロウロ動くのと似た状況です。

でも、もしかしたら、
それが生き物であり、人間であるのだと
思う自分もどこかにいます。
そんな虫みたいに無意味にジタバタしていると、
何でしょうね。
ちょっぴり生き生きします。
当然かなり、疲れるのは疲れるけれど、
何だか野生な感じがするというか、
上手く言えませんが、
大平原と青い空が脳裏に浮かぶんです。

誰も自分の事を知らない集団に、
ある種のよそ者として入り込む。

よそ者の自分を何処かで保ったまま入り込むには、

ともすると、どっぷりそこに入り込んでしまいそうな自己を、
冷めた目で眺める冷酷なもう一人の自分を作っておく必要があるかもしれません。

自分の把握している事が、まだ狭い範囲内でしかないだとか、
今の段階で自分の感じた感覚と、まわりの世界を含めて、遠くから見下ろしてみるとか、

そんなことを毎日律儀にしてたら、僕は孤独だなあって常日頃感じる辛い日々を、過ごすことになるやもしれませんが、

僕も、さすがに年をとりました。

最近その状況を何処かで楽しんでいる自分がいるのです。
そして、同じ状況を感じた過去のほろ苦い記憶を懐かしむ余裕すらあるのです。

世の中にはいろんな人が、それぞれの人生を生きて、それぞれ色々な物を背負っている。
それは、世代であり、記憶であり、経験であり、まあいろんなもんですよね。
自分の生まれ持ったものだって当然あるでしょう。
そのいろんなものを背負った、
一人の人間が、同じ人間である僕と何らかの関わりを持つ時には、
僕は多分目の前のその人だけでなく、
その人の背負っている、背後の莫大な、なんだかわからないもんとをひっくるめて対面することになるんです。
それを、ちゃんと誠実にこなすには
本当にちゃんとするには、
相手に対する誠意と、謙虚さと、
それから何より自分自身が生きる為の根源的なエネルギーが要ります。
自分の中に、生きる力が無いとつぶれてしまうんです。
これは、多分本当です。

真剣勝負って言葉を、
今朝の通勤中にふと思いました。

真剣というのは、
竹刀とか、木刀とかじゃなくて
人を切れる刃物としての刀。

それをお互いに持って対峙する。
否が応にも、相手の一挙手一投足を見つめ
いや、それどころか相手の呼吸まで感じながら対峙している。

一対一の勝負とは、
相手を見ないことには始まらない。
お互いを自分の内に取り込んで尚、自分を保つ事を要求されるのでしょう。
それが高度になされた先には深い相互理解が生まれるといった意味において、スポーツは特に良いツールであるのかもしれません。まあ、スポーツに限らず、音楽だって何だってそうでしょうけどね。




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