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周りと自分

自分は何も変わっていないのに、
周りが勝手にあるイメージでもって自分の事を捉えていることって、
多分僕に限らず、誰にだってある事と思います。

僕は、昔から
それこそ古くは小学校にあがる前から
そういった他人の見る自分のイメージが
本来の自分とは関係なく勝手に作り上げられ、
育てられていくのを、ぼんやりと僕なりに意識していたんだと
今になって思います。
きっと、僕みたいにちょっと変わっている人間が、世間一般に於いてはじき出されないように生きるには、
恐らく宿命的に
いや、処世術として
この他人の見るイメージとしての自己を
コントロールしていくことを学んでいくのがあるべき姿なのかもしれません。
それがあるから、
多分僕は、今でもこうして生きていられるのです。

ただ、そこで気をつけなくてはいけないのは、
周りが見る僕の姿が
たとえ世渡り上有益なものであったとしても、
それが本当の自分であるはずだと思わないようにしなくてはならないことです。

経験上、
あるいは感覚のレベルで感じた経験上、
それは自分の首を絞める事になるのだと
そう、僕は思ったのです。

今日も明日も、明後日も
まわりの人々が、自分の事を
自分以上に良く見たり、
また悪く見たり、
それぞれのやり方で把握している。

集団の認識は、
ある面で、所属意識から生まれる安心感のつてとなり得るものであり、
それは、ある意味人を惹きつけるものでもあるのですが、

でも、それに自分自身が踊らされた先には
組織や集団の生贄になるという末路が見え隠れするような気がします。

踊らされるのは、自分自身であってはなりません。

自分が周りを踊らせるのです。

それは、けして周りを侮辱する意味ではなく、
したたかに、
自分を見失わないようにしながら、
社会のシステムなり、
集団の潮流の中で、
ダンスをするようなものなのかもしれません。

こういった感覚は、
自分の独自性を
世間に無防備に
いや、時に計画的にでも
思い切ってさらけ出した先に感じるものかもしれません。

やってみると
例えば蟻の行列を乱したみたいに
みんな大混乱するけれど、
大部分の非難の先に、
確かに受け入れて励ましてくれる人がいる。

賛否両論
それが、あるべき自然の姿。
賛成に後押しされて、
反対から学ぶチャンスを汲み取る。

それを楽しめるようになれるなら、
毎日がもっと楽しくなるような気がします。

そんな事思ったら、
ついつい夜更かし。
まだ火曜日なのに、
はやくねなくちゃ。

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