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妄想について熱く語る?

莫妄想という禅の言葉がありますが、
僕の場合、
妄想だらけ
もはや僕が妄想をしているのか
妄想が僕をしているのか分からないくらいで
そんな自分が、
例えば妄想することをやめてしまったら
自分が自分ではなくなってしまうくらいに、
妄想は、僕のライフワークになっています。
まあ、僕は人間ですからね。
どの道、仏様には死んでからなるので、
それでいいんです。

僕のライフワークであり、趣味でもあり、はたまた時には苦痛の根源でもある妄想ですが、
妄想にも質の良い妄想と、悪い妄想がある事に最近気づきました。
僕の個人的で勝手な見解としては、
質の良い妄想は、クリエイティブな広がりがあるもの。
質の悪い妄想は、不安のスパイラルを延々繰り返す類のもの。
という風にしています。

そもそも妄想は、夏の空の積乱雲みたいにぐんぐん成長していくものですから
その良し悪しは、妄想自体が広がる方向が自分にとって心地良いか、苦痛かの違いなのだとも思います。

妄想を大きく膨らませるには、情報が必要ですが、
情報が多すぎると、妄想の余地が無くなってしまいます。
情報の枯渇が、実は妄想のエネルギーとなるのです。
この場合、提供された限られた範囲の情報は、妄想の核とも考えられます。
少ない情報を広げるために、さらなる情報を自分の人生経験から引っ張るのも手ですが、
実は一つの事柄に対して広げるのは、妄想という性質上あまり王道ではありません。
つまり、それを突き詰めてしまうと、
それはもはや妄想ではなく、
思索になってしまうからです。

では、どうするのか。

そこでやるのが、妄想サーフィン。

一つの発想からの妄想がある程度の広がりにまで達する前に、次の発想を引き出して乗り移る。
それを繰り返しながら、例えば連想ゲームみたいに妄想の旅に出るのです。
そうやってどこまで行くことができるか。

その旅では、上手くいけば素晴らしい宝物を手に入れることになるかもしれません。
新しい発想の素です。
それが見つかれば、次回そこからまた妄想が広げられます。
つい先日、僕が見つけたのは
「人は死が近づくと、脱皮をする。」
というフレーズ。勝手な造語です。
例えば、死期が間近に迫った段階で、人は社会的な役割としての自己を脱皮する事が必ずあると思うんです。
なるほど、それは確かにあるかもしれない。
じゃあ、次に脱皮するとしたらどんな自分?最後には何が残る?
きっと、この先そんなテーマに向かう事になりますが、
きっとこれはすぐに情報の枯渇を迎える話題である事や、それからちょっと哲学的な色合いが出てくるので、思索に向かう危うさがある事を思うと、
このフレーズは残念ながら、このまま放置。
またいつか、機が熟したら味わうとしましょう。

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