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思いつくまま

いつも食材を買い出しするスーパーの話。
妻によれば、そこのレジにはある人気者がいるそうでして、
レジ担当の中に、お客さんにとても好評のおばちゃんがいるとのこと。
スーパーですから、いくつもレジがあるにも関わらず、そのおばちゃんのとこだけいつも列ができている。
そこに並ぶお客さんは、そのおばちゃんにレジ打ちしてほしいって並んでいる訳なんですが、その方、とてもフランクで、こちらの立場から見た融通を利かせて、柔軟なサービスを提供してくれるとのこと。
確かにレジ打ちしてる人の中には、マニュアル通りの言葉遣いでレジ同様の入力→出力みたいなやりとりを前提とした人が多い傾向にはあります。客もそのつもりでいるかもしれない。
コンビニでもそう。たまに暇なおっちゃんとかが、そんなバイトのお姉ちゃんに人間的な柔軟性を求めてあれやこれや話しながら、マニュアルの向こうまで飛び越えようとしてるの見ますが(そんな光景見るの、僕個人としては結構好きなんです。なんかアメリカの映画に出てくる田舎の生活雑貨を扱うお店のやりとりみたいで趣あります。バイトの店員としては厄介かもしれないけれど。)
話が逸れました。スーパーのレジ打ちという、店舗内で一番人と関わる場面。
こんな高度にシステム化された世の中における、最後の砦的なレジのやりとり。
そこに買い物の値段以外の価値観に対する消費者のニーズ。
地元のスーパーでも、それがちゃんとあるという事実は、疲れた僕をちょっと幸せにしてくれたのです。
買い物には、自分が労働の対価として受け取った金銭と店の品物とを交換する意味もありますが、
大抵の人は、恐らくそんな大義名分なんぞいちいち考えてなんかいなくて、もっと先っぽの方を見て生きている。
契約ということを根本理念としている国々の買い物は、多分その大義名分が身体の奥、例えばDNAのレベルでちゃんとあるんだと勝手に想像してしまうのです。
いやいや、日本においても本来そうであったかもしれません。店員と話をしながら、妥当性のある対価を払ってサービスを得ていたはずです。
いつからか、物の価格というものが現実から剥離してしまったのです。
スーパーで人気のレジ打ちおばちゃんに会計してもらうために、列に並ぶことを厭わないこと。
列に並んだって、特典も付かないし、安く手に入れる事ができるわけでもない。
でも、この人に会計してもらうこと。その買い物のやりとりを求めている人がいる。
豊かさって、もしかしてそういうことなのかもしれない。

土曜の夜
古いサンバを聴きながら、この記事を書いています。
スピーカーから流れるリズムに身を任せていると、
このリズムが人の中に息づくリズムから生まれたものだと思うことがあります。
それは、人のリズムかもしれないし、
或いは地球の自転のリズムでもあるのかもしれない。
もし仮に、音楽は人の体内や地球の色々な変化のリズムから生まれたものだとするならば
僕はその音楽を5月の風やら、木漏れ日からも感じられるはずです。
午後11時。
地球上のある地域に太陽はそれぞれの地域に見合う高さから、その恵みの光線を降らせ、そして一方で夜は刻々と深まっていく。
それらは、常にある方向に向けて変化し続け、
また、一定のリズムで循環し続けている。


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