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日常

とにかく、忙しい。
身を削ってという言葉が実感として感じられるような、
そんな今日この頃です。


こんなふうに書いてみたところで、
息の詰まるようなあの通勤前の感覚や
例えば、自分の身長くらいある、大きな石のお金を、自分の全体重を預けるようにして、ゆっくりと大地を転がすかの如くに一日一日をやり過ごすような、そんな気持ちは、まあ人には伝わりませんよね。
だからって、どうということないんだけれど。
現に僕自身、もとからそんなこと、
期待しちゃあいません。


それにしても、人に何かを伝えるということは
凄く難しい。

実際、物事の大半は
伝わらないか
或いは分かってもらったと誤解する。或いはそう無理矢理納得する。突き詰めると、結局はそのどちらかしかないんじゃないかと思えてくるのです。

だからこそ、人は物語を作り、絵を描き、
淋しさを紛らわすために音楽をするわけです。

ここ数年は、じっくり本を読む精神的余裕も時間的な余裕もありませんから
例えば街の図書館で講演のCD借りたり、ラジオでめぼしい物を録音して、車でしこしこ聞いているんですが、この前、作家の遠藤周作の講演を聞いていたら、その事に触れていてとっても面白かったのを思い出しました。
この人作家さんですし、作品も重いテーマを背負ったものも多くて、
つまりはすごーく暗い人だから、
逆に意図して面白い自分もやってバランスを取ろうとしていて、またそこも魅力なんですが
でも、やっぱり
面白いこと言っても、
なかなか笑えないんですよねー。なんか重いの。

まあ、それはさておき
遠藤周作さんも言ってましたよ。
人生の重ーいテーマを、そのまま話してもつまらないし、でも、それを人に伝わるようにするためにストーリーにするって。

難しい事を、簡単に分かるように伝えられる人って、僕は賢い人だと思います。
世の中には、逆の人、
結構いますものね。
簡単なことを無理に難しくして伝える人。

にしても生のまま正直に伝えた所で
伝わらなければ意味がない。
気合いじゃ無理な事だってあるわけです。

まず、伝わらない、分かり合えない事があたりまえ。
そういう事が前提で、
それでも一つ二つ
伝わったならば、
それは奇跡
といえるくらい
幸せな事なんだと思うのです。

これは、言うが易し
実際はものすごく大変。

だから、伝わった、共有できたと
疑似体験する方に向かうことだって
うんうん、
確かにいっぱいあります。

みんなで感動するって言葉で何でもくくって
意味なく涙するってね。
泣くことが感動する事じゃないのにね。

二十一世紀の今日
街を歩いても、ほんとの意味での土が隠されていて
アスファルトやらコンクリートに蓋をされているけれど、
結局は人はいつか必ず死に
土に帰る訳であるのなら
自分という存在は
周りの環境
つまりは、さらさら風に揺れる竹林や
道に落ちた物をついばむ雀
それから、坂の下から吹いてくる風だとかの一部なんだと気づいた時
ある種の清々しさがあります。
大きな物への帰属意識
それを感じることが宗教の宗教たる由縁ですものね。
もう少し狭い区分けで観てみると
それは、社会のシステムという事になります。
これは、意識的にか無意識的にか、そこの所は分かりませんが、とにかく自然を手本にして人間が作り上げた物。
その中で生きていく事に
もしある時違和感を感じたとしたら
それは、ある意味自然の成り行きなのかもしれません。
あとは、その摩擦を自分の中に保ち続ける強さを持てるかという事なんだと思います。
黙って飲み込んで
少し離れて考える。
それができれば、きっと乗り越えられるはずです。






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