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重力



連休最終日
いつもの公園の、きまって遊ぶロケットの形をした滑り台。
そして今日も、砂遊びに飽きた息子くんは
そのロケット滑り台で遊んでいます。
そらは雲ひとつない青空です。
父親であるところの僕は、あまりの寒さに、ポケットに手を突っ込んだまま、近くのベンチから見守るのでせいいっぱい。
公園には、彼の他にも沢山子どもが遊んでいるわけで、いつの間にか数人の子供たちがみんなで順に梯子を上り、滑り降りるという行程を何となしに繰り返している。
みんなひとしきり遊んで去って行く中、最後に息子と、眼鏡をかけた歳の近い男の子が残りました。
二人はやはり無言でそれぞれ上っては滑り降りている。
その繰り返しをしながら、ある瞬間に眼鏡の男の子がいきなり「おーい」と叫ぶ。息子くんに向かってというよりは、空に向かって言っているくらいのあてのない呼びかけ。「おーい」と返事する息子。これもまた、独り言のような相槌。
その後、眼鏡くんが後ろ向きに滑ってみせ、それを息子くんが真似して、逆から眼鏡くんが滑り台を登ると、暫く後に息子くんが同じ事をするという流れになり、いつの間にか二人で遊んでいます。いい頃合いになって眼鏡くん、挨拶もなしでさっとその場を離れて行ってしまいましたが、息子くん、特に気にも留めずニコニコ滑っている。
ぼんやりと、そんな様子を眺めていて
いろんな事思いました。
僕もきっと今は忘れてしまったけれど、きっとその昔、その場限りでさらっと肌が触れ合う程度の出会いが沢山あったんだろうなあとか、
勿論、「おーい」しか言わなくても、友達になれるんだってこととか。
滑り台は、この際目的ではなくて手段というか、単なる場ですよね。
場を共有することで、産まれる人との関係。
もしかして突き詰めて考えてみると、
結局人と人とを繋ぎとめているものは、
こんな場というものなのかもしれませんね。
学生時代に同じ時間を共有した友人との、あの場での関係性は、ベースとなる場がなくなった時点で実は既にどこかで終わってしまっている。何も学生時代だけではなくて、職場の関係もしかり、趣味の世界もしかり。
実は、僕が十年以上参加させていただいているアマオケが、今後続くかどうかわからない状況にあります。
集まる場が無くなることの意味するのは、つまりはある関係の消失だと思った時、冷たい風が首のあたりを通り抜けました。
お昼はラーメンだよ。と息子を家路に誘い、砂場セットを手に帰ります。

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