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腰痛と心棒

毎日、人間として
人間たちの中で
生きていれば

理解してもらえなかったり
決めつけられたり
批判されたりといった
そういった事は
日常特に珍しい事ではありませんが、

いろんな人が
いろんな事を言うけれど

それで、自分自身はどうなのか。
その通りだと、
心からそれらの声に納得できるだろうか。

そんな時に
自分自身が、
それでも自分自身であるところの
その、何か大きな心棒が
ぐらっとならなければ、

外で風が吹こうが、
嵐になろうが、
矢が降ろうが、
ミサイルが飛んでこようが、

多分大丈夫なんだと思うのです。

意外と人間なんてのは、
本当にいいかげんなもので、

こちらが、同じ気持ちで同じように心血注いでやっていることでも、
すごく持ち上げられて、ちやほやされることもあれば、
誰からも全く、気にも留められないこともあるし、
そんなに酷いことしてる訳でもないのに何だか風当たりが強いと感じることだってある。

だから、あんまりまわりの反応ってのは、気にしないに越したことはないんだよなーって、
ぼんやりと帰り道
車運転しながら思いました。

なんて、仕事で何か嫌なことあったとか
実はそんなこと特になくって、
通常程度のストレスレベルなんですが、
帰り道に、自分の腰痛の事を
うだうだ考えていたら、
そういや、仕事中にすごくエネルギー使ってる時って、
腰がすんごく反ってるよなあって思って、
この反ってる腰って、
何でそこまで反ってる必要があるのかなあと思った時
頭の中に、川の流れの中で流されないように踏ん張っている竹の棒が浮かんだのでした。
何だか、漱石の草枕冒頭みたいですが、
兎角この世は生きづらい。
だから、漱石は胃痛に悩まされたのですし、
もしかしたら、腰痛もある種
人間である事の宿命なのかなあ
などと、思ったのでした。

ああ、腰がだるい。


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