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出さなくては

週末の雨が、秋の空気を連れて来てくれたのか、ここのところ過ごしやすい日が続いています。
蝉時雨が一段落ついたのが、有難いような、少し寂しいような。


今あることは、それがどんなことであれ、それがそのままこの先ずっと続いていく保証はありません。
例えばこの先眼が悪くなって今見ている風景を感じられなくなるかもしれないし、耳が聴こえなくなるかもしれない。手が自由に動かなくなるかもしれないし、歩けなくなるかもしれない。
有難い事に、それは今、僕は当たり前の事のようにしているのだけれど、明日、あるいは数年先にできているという保証は無いのです。
当たり前の事なんですけど、でも、その事を思う時、僕がしたいことは何かと考えたら、ただ何かを生み出したいと思いました。
絵が描きたい。とりあえず、自分の眼が今感じて脳が感じた風景を現したい。現したものを、誰かと共有したい。楽器を弾きたい。自分の身体から音を生み出して、空間と響きを共有したい。蝉は、生きていることを身体を震わせて伝えている。僕も音を出していたい。言葉を話したい。自分の頭にある風景を言葉にして残したい。
出したい出したい。
描かなくてはいけません。弾かなくてはいけません。書かなくちゃいけません。
絵を描くことに関していえば、この行為は僕が物心つくかつかないかの頃から、誰に教えられるでもなく、いつの間にかしていたことでした。
絵を描いていると懐かしい気分になるのは、そのせいもあるかもしれません。
もしかしたら僕にとって一番大切な事かもしれません。
絵に無心になっている時、そこにはまだ言葉すら生まれる前の無邪気な自分が確かにそこにいるのです。
だから、よい作品にしようなんてこと考えないで、今、描けることをしっかりと味わいながら、生きていかねばと思うのです。
動物園で紙がなくてお菓子の空き箱の裏にペンギンを描いた三歳の頃のように、僕は僕らしくいることが、自分を大切にすることなのかもしれません。
時間は、限られています。僕も三十後半です。そして一日は24時間しかない。忙しくても少しの隙間はあるはず。その隙間を大切にしたいです。

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