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妄想の放し飼い

妄想の放し飼い
夕飯の後、
息子くんが
「あのさあ、タクシーつくってよう」
と、何の脈絡もなく言いだしたので、
結婚祝いを送った職場の後輩から先日届いた、資生堂パーラーのチーズケーキの空き箱と、ラップの詰め合わせの黄色い仕切り板とで、もちゃもちゃと工作。
あろうことか、いつの間にか熱中してしまい、息子くんも何かを察したのか、ちょっと距離を置いて眺めてました。
あまりに凝ってしまい、作品に情が入り、危うく手放せなくなりそうだったので、急いでダイニングの机に持っていき、おもむろに携帯で写真を撮りました。
そして、傍で唖然と待つ息子くんに「大事にするんだよ」と神妙に手渡しました。
あはは、
自分で書いててなんですが、
まったく大人気ない親ですね。
あははのは
今気付きました。

先日ふと思ったこと。
そう、最近僕の頭にあるぼんやりの泉がかなり活性化していて、コントロールできるギリギリまできています。
時々奥さんの話にもうわの空で、ぼけーっと考え事の旅に行ってしまっていることもあり、それはそれで気持ちいいというか、エキサイティングな白昼夢ですが、やりすぎると社会生活が成り立たなくなるので、結局場をわきまえる大人な自分を立ち上げ立ち上げしてなんとかやりすごすしかありません。
で、とんだ前ふりで最近ふと思ったことなんですが、
コミュニケーションというのは、何だかその時その場の直接的な関わりという意味で捉えることが多いけれど、
実は不確定な未来に向けての表現というのもありだよなあと思ったのです。
伝える対象がその場にはいないが、何年も何百年も先の誰かに向けたメッセージってのもあるかもしれない。
昔、ボイジャーってアメリカの宇宙探査機が地球外生物に向けたメッセージを吹き込んだ金のレコード盤を搭載して宇宙の彼方へ去っていきましたが、
遠い誰かに向けた表現ってのも、確かにありますよね。
まあ、宇宙人とまではいかないにしろ
例えば神に向けた表現とかいうのもそうかもしれません。
新婚旅行で行ったヨーロッパの教会はどこも大きくて天井が高かったのですが
あれを思うと、やはりそこに広がる音は、遠い遠い神様に向けての祈りの音なのかなあとも思います。
伝わるか伝わらないか、それは今の時点ではわからない。しかし、わからないかもしれないけれど伝えたいことがある。
それは、もはやある種の祈りに近いものなのかもしれません。
祈りといえば、大学の頃、課題の油絵を夜中に一人、教室で描いていたとき、ちょと休憩ついでにベランダの手すりにもたれて煙草を吸いながら漠然と
「絵を描くのって、祈りに似てるなあ」
って勝手に自分でうなづいていたのを思い出します。
祈りは、いつか誰かに届くのでしょうか。
それは、何十年先かもしれないし、
何百年も先かもしれない。
空に光る星のように、何万光年もかけて届く光だってあるのですから。

なーんて、とめどなくぼんやりは広がり、
何だかえらいことになっています。
やれやれ。

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