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例えば、その季節ごとの空気感

例えば、その季節ごとの空気感。
今夜は風が心地よい。

只今深夜2時35分。
こんな時間だというのに、ちゃんと電気は供給され、
こんな時間だというのに、パソコンはネットにつながる事ができる。
当たり前でしょと言われそうですが、
それはある意味正しく、
ある意味妄想です。

例えば、その季節ごとの空気感。
今夜は風が心地よい。

只今深夜2時38分
それぞれ、人の脳内で感じるまわりの世界というものは、
当然それぞれで違っているわけで、
例えば客観的な現実としての世界があるとするのなら、
それを感じる人それぞれの分だけ、バリエーションがある。
つまり、人の数だけ世界があるんですよね。

例えば、その季節ごとの空気感。
今夜は風が心地よい。

只今深夜2時44分
人は生まれるときも、死ぬときも
結局一人である。
相あうときも、わかれても
ひとりはいつも
ひとりなりけり。
例えば想像してみる。
地球に今夜大きな隕石が衝突して、
全人類が滅亡するその直前
ほぼ同時に全人類が死ぬとしても、
その死の間際は、
やはり一人。
死は、ごくごく個人的な体験であり、
生もまた然りであるのかもしれません。

例えば、その季節ごとの空気感。
今夜は風が心地よい。

只今深夜2時53分
自分の生きる世界は、
まわりの客観的現実ではなくて、
それから生まれた自分の世界である。
それは、僕が死んでしまうと同時になくなってしまう。
僕が、今感じている世界は、
僕とともに無くなってしまうのです。

例えば、その季節ごとの空気感。
今夜は風が心地よい。

只今深夜2時57分
例えば庭のカマキリが、今静かに息を引き取ったとしても
誰も気づかないかもしれない。
地球全体のサイクルから見ると、
それは生態系の1プロセスに過ぎない。

只今深夜3時2分
3時になってしまいました。
つまり、というか何というか
こんな夜中にふと目覚めて眠れなくなった僕が
こうやってパソコンに
うだうだ文字を入力しているのも
今夜死んだカマキリの
世界が、そのまま亡くなってしまうことを
どこかもったいないと思うからなのです。

つまり、自分に執着をしているという訳です。
それは、人間だからしょうがない。
生きているんだからしょうがない。

只今深夜3時7分
もうそろそろ寝ます。
明日も太陽はちゃんと現れるのでしょうか。
当たり前でしょと言われそうけどね。

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