日曜日のぼんやりメモ
完璧な地図が無いように、完璧な表現の手段なんて無いんだと思うんですけど、例えば、言葉というものは万能であると思ってしまいがちなこともあります。言葉にすることで、それをきいた人に一つの共通したイメージを伝達できるという過信。迷信。
じゃあ目に見える形ならどうかというと、また違ってきます。人によって感じ方もさまざま。
僕は昔、IONAのコマーシャルに出てくる美しい女性の横顔が怖くてたまらなかった。でもキャッチコピーは「イオナ、わたしは美しい」だったような気がします。何が言いたいんでしょう。
ところで音、音についてはどうでしょう。音は、時間を追って認識されることと、並列して起こることと、どっちもなんでしょうか。旋律やリズムは時間に支配されているし、和音の響きは時に絵画的です。それも時間の流れの中で変化するので、やはり時間に影響は受けているんでしょうけど。人はよく時間の流れを川の流れに例えていますね。(←思いつきで書いています)
ところで楽譜って時間という視点で考えると面白いですね。
縦軸に音の高さ、横軸に時間をとってあるグラフって捉え方もできますよね。
音符と音符を線で結んだら、折れ線グラフの完成です。
一日の気温の変化を音楽にしたら、どうなるのかな。いろいろな統計を音楽で表す。楽しそうですね。誰かやってないかなあ。
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