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とりとめもない独り言

小さい頃の記憶になればなるほど、それらはどこか象徴的なものになっていくような気がします。

僕は、物事を場面ごとの画像として記憶していることが多くて、例えば誰かと話した内容は詳しくは覚えてはいなくても、その話をしたシチュエーションは良く覚えています。

それは、家族でみかん狩りに行った光景。

トラックの荷台に乗って、秋の空の下、ガタゴトと山道を登る。

ビニールの敷物。

チューリップのような帽子。

葉っぱを縫って降り注ぐ木漏れ日。それを暖かく感じられる程の涼しさ。

何も心配することなど無かった幼少の自分。

それは、そのみかん狩りの光景とセットになって記憶されています。

このおぼろな記憶を、僕は心のどこかで追い求めていくのかもしれません。

記憶というのは、その人にとって重要な意味を持っています。

それを、どうすればよいのか。

どう扱えばよいのか。

そういったものを、何とか表に出していく作業。

それらは人の役に立つかどうかなんてことではなく、そうせざるをえない事。

そういった作業のことを、もしかしたら創作と呼ぶのかもしれません。

人の心に響くかどうか、正直なところわかりません。

ただ、表現せざるをえないのです。

それを、日常の会話で上手く表現できる才能のある人は幸運です。

それが苦手な人は、他の方法を選びます。

厳密に言うと、事柄の内容によって、日常にそぐわないものを抱えることもあります。そういう人も、何らかの方法で言わざるをえないのです。

そんなことたちに正面から向き合うのは正直しんどい作業ですが、それをめんどくさくてもしなくてはおれない人たち。

それを芸術家と僕は捉えています。

これは、作品が世に認められるかどうかとは別のものです。

もっといってしまえば、作品が無くても、芸術はありえるのです。

生きることは、もしかしたら、言わなくちゃいられないこととの、抱えなくてはいけなくなってしまったこととのやりとりなんではないかと、ぼんやり思う夏の夜です。

僕の弾くでたらめなバイオリンも、何かを言っているのでしょうか。

自分と話をしたり、外に音をぶつけてみたり。

どうして楽器ケースを開け、楽器を手にすると、こんなにも時間は早く過ぎてしまうのか。

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