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人と人

ビル・エヴァンスによる「EASY TO LOVE」というアルバムを聴いています。

何かの本で読んだのですが、

自分が他人に言ったことでちゃんと伝わるのは、せいぜいその内の半分くらいなんだそうです。

だから、この日記にしても、伝わるのはその内の半分程度。

でも、その方が気が楽です。

よくよく考えてみれば当然のことなんです。

人は、その内に他人が理解できることと、本質的には理解できそうにないこととを持ち合わせています。

それぞれ時間は同じように過ぎ行く中で生きているそれぞれの存在である僕たちは、分かり合えるといっても、すべてにおいては無理なのです。それはしょうがないことです。

そういったものを持って人は旅立っていくのです。

昔、そのことをある人に言ったことがあります。

その人は、大学のある施設にいて、僕はそこへ月に2回ほど通っていました。

部屋にはデュフィのヴァイオリンの絵が飾ってあって、ソファで向かい合って話をします。

彼は僕が約束の時間に部屋に入るといつも、よく来たねと言って窓際でコーヒーを入れてくれます。

ある、冬の日のこと。10年も前のことです。

僕は部屋に降ってくる優しい日差しの中で、「人の痛みなんて、他人には分からないんだと思うんです。」と言いました。

その時、普段は僕の話を何も言わずにきいてくれたその人がこう言いました。

「そうかもしれない。でも、分かろうとすることが、大切なんだと思うなあ。」

厳密に言うと、そう言ったかどうかは覚えていません。

しかし確かに反論されました。そのことが僕にとって少なからずショックだったし、そのことが、10年も経った今でも僕の心に引っかかるのです。

分かろうとすること。

それが重要だったのです。

一人一人、生まれた場所も育った環境も違う、別々の人が根本的に理解し合うことは所詮無理な話です。

それを求めるのが人というものなのだとするならば、それは当時の僕にとって単なる負け戦にしか思えなかったのです。

でも、もともと生まれた時から死へのカウントダウンが始まる人間という生き物にとって、勝利は約束されてなんかいないんだけど、

それでも他人とつながることを求めて止まない人の性に、最近は、ちょっと愛おしさに似た感情を持てそうな気がしています。

なんだかんだいって僕の心には、今まで関わってきた沢山の人たちの余韻がまだ残っていますし、それは時として僕を責めたり、慰めたりしてくれます。

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ぼんやり日記」カテゴリの記事

コメント

なんだか、わたしが最近、一人で頭の中でぐるぐると考えていることに共通する部分がある感じがして、興味深く読みました。

うまくはいえないんだけどね。
私が、これを読んで、自分に関して思ったことは

ついつい「わかってもらいたい」「わかりたい」と思ってしまうけど、「わかろうとすること」が大切ってことかぁ。

ってことと、

自分は人に対して「わかりたい」ってな自分からの押し付けになってやしないかって、ちょっと自分を振り返ってみた。

だからどうってことではないけど、日記を読んで思ったことをつぶやいてみました。

投稿: ともこ | 2007年4月22日 (日) 21:46

本当にわかり合えることなんて、そんなにないことわかってても、わかろうとするのが人なんだと思う今日この頃です。
音楽に感動するのも、もしかしたらそんな少し人間臭いことが理由だったりする面も、もしかしたらあるのかもしれませんね。音楽は言語よりもうんと共感しやすい言葉なのかもしれないと思いました。

投稿: tkm | 2007年4月23日 (月) 21:14

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