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暗い日記

今朝、夢に久しぶりに兄が出てきました。

亡くなって3年になるんですが、今でもちょくちょく夢に出てきます。

きっと、心の中でまだ受け入れられていないんですね。

物理的な話でなく、人はきっとゆっくりと死ぬものなのです。

夢の中で兄はいつもあたりまえのように部屋にいて、

夢の中の僕も、「あっ、帰ってきたんだ。」って普通に思っている。

そして生前よくしたように、洋楽好きだった兄と音楽のことを話すのです。

きまって僕は、あるCDの話をします。

ビーチボーイズの「ペットサウンズ」BOXセット。

生前、兄が欲しがっていたCDです。

給料入ったら買うつもりだと言っていました。結局給料前に事故で亡くなっちゃったんだけど…

「買ってきてあげたよ。一緒に聴かない?」

夢の中で僕はいつものように話しかけます。懲りずにいつもいつも。

死んだ後兄に何かしたくてタワレコで買ったのがこのCDでした。

CDを手にした当時、何ともいえない無力感を感じたのをおぼえています。

胃のあたりに大きな穴が空いてしまったような脱力感でした。

僕のしたことは、入り口はあっても出口の無いような行為だったのです。

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ぼんやり日記」カテゴリの記事

コメント

かなり共感しました。そして、涙でました…。
人はゆっくり死んでいく…って辺り、特に。
ホントに、その通りだと思います。
突然の死でなくても、身近な人の死は中々自分の中で中々受け入れられない…。
未だ、当たり前にそこここに居るような気がしてならない。
いつか、この心に空いた穴は塞がるんでしょうかね?
穴に更に隙間風ピューピュー吹いてきてる感じじゃない?
でもね、それが平気になったら、その人の事忘れた薄情な人間のような気がしてしまう自分もいる…。
大切な人であればあるほど、別れはつらいね。
恋愛もしかり…

投稿: ちぇろ子 | 2007年2月13日 (火) 00:20

兄が病院から自宅に戻り、隣の部屋で白い布かぶって寝ているのに、家族でコンビニ弁当食べているということが当時の僕にとって不自然でなりませんでした。
親しい人と別れても、生きている僕たちはご飯を食べているのです。
それが生きるということのたくましさであり、また薄情なところでもあるのかもしれません。
あれから3年経ち、兄のいない生活にも随分と慣れてきました。厳密に言えば、いないという生活スタイルに慣れたのだと思います。
今でも夢に出てくるのは、意識の上では納得していても、もっと心の奥では、きっと納得しきれていない部分があるからだと思います。
諦めようと思っても諦めきれない。
忘れようと思っても忘れられない。
納得する答えが見つからない。
そういうものもあるのだと思います。

投稿: tkm | 2007年2月13日 (火) 21:56

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